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学びを深めて、「みらい」をひらく
荻上 チキさん(評論家)P2



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4. 学問の蓄積

光野
 僕が荻上さんの本を初めて読んだのは大学2年生の頃ですが、「この言葉は大切にしたい」と思ってスマホにメモしたものがありました。それは『いじめを生む教室』(PHP新書)の中の、「大学生になって……個人的な体験を、社会的な言葉にしてくれる学問の蓄積は、それ自体に癒しの効果があると痛感しました」という一文です。大学生になって、特に心理学とかを学んでいる中で「もっと知りたい」と思ったときの、その不思議な感覚を言葉にしてくれてすごい力になりましたし、今でもこの言葉が支えになっています。
 大学の4年間は初めて学問というものに本格的に触れる期間だと思いますが、荻上さんにとってのその経験は、今振り返るといかがでしたか。

荻上
 そうですね。そこに書いた通り、やっぱり言葉を獲得することと体験を学ぶということと、それから先輩がいる──先輩というのはゼミの先輩ではなくて、その研究を自分より前の時代からやっている人がいる、ということはすごく重要だなと思いました。
 自分の思いつきで何か(政治のことも)自由に話せる人はいるんですが、そういう人たちの中には通説を反復しているだけということがしばしばあるんです。でも、データとか過去の研究蓄積などをみると、もう否定されていることもあったりするわけです。自由に羽ばたいているようで、誰でもが重力に囚われて何度も何度も落ちていく。そうしたときには、ある種の飛び方を学ぶことが必要になりますよね。そういう意味で、やはり考えるための基礎も身に着いたし、自分の思いを言葉にするとか他者を理解するとか、そうした基本的なものを理解するのも役に立ちました。
 僕は文学部でしたが、文学というのは細部の描写をどこまで読解できるのかということをチャレンジする場所ですよね。心理学、生理学、社会学、様々な学問で、例えば、語り尽くせないような細部のゆらぎ、感覚、ものの悲哀、あるいはある種の都市風景とか、いろんなものを記述するのに文学は長けた分野なんです。その中でそういった言葉を読み続けていると、大きな言葉で括られがちなものの背景に、より深い多様な物語があるということを前提にするようになる。だから文学の世界にはフェミニズム批評とか障害学的読解とか植民地主義批判の文脈のなかで読む読解法があるわけですね。そういった他者を理解する、あるいは理解できなさを知るみたいな言葉を大学時代にじっくり獲得できたのは、やはり一番大きかったなと思います。

光野
 「自分の考えを話していて実は通説にとらわれている」というのは確かにその通りですね。僕は最近、「男性学」についていろいろ本を読んでいるのですが、そこで「『フェミニズムが拡大したせいで男が生きづらくなった』という言説は間違いで、男性の抱える生きづらさの原因は、男性中心主義にあり、フェミニズム的な拡大がもたらすものではない」ということを学びました。反フェミニストの人たちはフェミニズムのせいだと言うけれど、フェミニズムが直そうとしている社会と男性が抱えている生きづらさは、実は同じゴールを目指しているのではないかと僕はすごく感じています。荻上さんは学問を通して自分の中の偏見が取れた、初めての経験というのはありますか。

荻上
 大学に入る前に、フロイトとか『論語』とかを読んでいたんですけど、「人の行動には理由とか動機がある」ということを『論語』から学び、科学的に相当間違いはあるけど、本人の中に言語化できないような何かがあるということはフロイトから学びました。その中で「認知的不協和」といったベーシックな心理用語を学んでいくと、自分の中の葛藤を「葛藤」と今まで言っていたけど「認知的不協和」も大きく含まれていて、「認知的不協和」だと「バイアス」の話になるから、自分のバイアスってどういったものなのか……と考えたりするんですよね。そういう自分の知らない世界があって、自分の中にもそれがあるということを知って学んだのは、高校生ぐらいの時ですかね。

光野
 そうですか。高校生のときにはすでにそういうことを学ばれていたのですね。

 

 

5. 映画を観に行こう

光野
 荻上さんがラジオで紹介されているおすすめの映画とか本を、いつも参考にさせていただいています。その中で、『イン・ザ・ハイツ』は、大学院進学を控え、将来に不安があった時に観たので、この作品で描かれるキャラクターの葛藤がすごく胸に響きましたし、面白かったです。荻上さんが学生時代に触れて良かった作品や、後に「これは大学生の時に観ておきたかったな」と思う作品はありますか。

荻上
 後から「あの時観ておけば良かった」という作品はあまりないですね。その時その時に観て良かったと感じるものなので。
 大学で「映画演習ゼミ」という授業を受けていました。そこから、「映画館に映画を観にいく」ということをするようになりましたね。大学時代に観て良かった作品は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001年 アメリカ)とか、橋口亮輔監督の『ハッシュ』(2001年 日本)、それから黒沢清監督の『アカルイミライ』(2003年 日本)ですね。そういった作品を観た時に、もっとたくさんの映画や小説、漫画を通して色んな世界を見たいなと思いました。それで、『市民ケーン』とか、『素晴らしき哉、人生!』といった古典的ハリウッド映画と呼ばれるもの、また、ハリウッド映画や邦画に限らず、欧州、中東、中央アジア、インドなど、世界中にある素晴らしい映画を探すようになりましたね。なので、映画の授業を受けてよかったなと思います。

光野
 昔の映画や本で、作品としては素晴らしいけど現代では差別と問題になっていることが含まれていることがありますよね。そういった作品に触れるときに意識しておいたほうがいいことは何かありますか。

荻上
 批評というのは否定とは違うので、批評と言っても、「多くを知る」ということですね。例えば、「この映画は映画史上初めてこれをやった作品だ」という形でそれを評価する、しかしながら当時の俳優と言えば男性で、そういったキャラクターが描かれがちで、しかもハリウッド映画なら白人を中心に描かれますから、そうした批評批判から逃れるものではないわけですね。かといって、その映画の存在自体も、その映画が評価されてきた歴史も否定されるものではなくて、当然ながらそれは解釈をするためのいろいろな作業になるわけですよ。そうするとひとつの情報だけで全否定するということでもないし、かといって、好きだからといってその作品の否定的な要素を全部受け容れないということでもない。そういういろんな要素を多元的に並べながら観ていくといいのではないかと思います。

光野
 昔の映画ですごいと思ったものでもその中には問題点もあるから、そこは否定するのではなくて批評するという意識を持ちながら触れた方が良いということですね。

荻上
 そういうことですね。

 

 

6. 立ち向かうパワーを持つ

光野
 いま僕たちは、新型コロナのこととか経済への不安とか、未来に対する不安もありますし、テレビをつけると若者が一括りで語られていることに違和感をおぼえながら過ごしています。多分多くの大学生がそうなんじゃないかなと思いますが、全国の大学生にメッセージをいただけないでしょうか。

荻上
 そうですね。若者だとか、女性だとか母親といった様々なカテゴライズに対してそれが不当な場合、対抗するパワーを持つといいですね。パワーというのは腕力だけじゃなくて、いろんなあり方があります。一つは集合的なパワー。つまり他の人と手をつないで、「ここにはこれだけの当事者がいる」ということをアピールし、連帯で抗議をするという仕方もあります。もう一つは「知性」ですよね。例えば僕のラボで調査をしたところ、コロナ禍でも外出するのは若者のほうが多いと言われるけれど、9割方の若者は出かけていないし、一方で若者が出かけざるを得ないのは仕事があるから。ということを考えると「若者がけしからん」とはなかなかならない。確かに一部の外出しがちな人がいるのも確かですが、そういう人は他の人と比べて不安感が強いというデータも見えるんですね。例えば一人暮らしをしている、家族もいない、バイトも減って不安を抱えている、という人たち。そういう人に対して、ステイホームの具体的な手段を提供していません。10万円を一回配っただけで、ただ「外出しないで」と言っているだけなので、これはもう政治の側の失敗ですよね。ということを、実情から知ると、そのカウンターを撃つことができるわけです。
 そういうふうにいろんな違和感を言葉にしたり対抗したり提案したりして現状をより良くするためにも、知性という手段には横のつながりも必要となってくるので、政治パワーに対して、どんな別のパワーで応答できるかを考えるといいと思います。ただしそのパワーは当然ながらテロとかではありませんよ。

光野
 今日のインタビューを通して「知性」を持つということも大事であるということはすごい励みにもなりますし、やっぱり大学で学問とか理論を身に付けるのは自分のためにもなるし社会のためにもなるんだなと感じました。今日は本当にありがとうございました。

 
(収録日:2021年10月21日)
 

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対談を終えて

光野 康平
コロナ禍で、一人の時間が多い日々の支えになっていたラジオ番組のパーソナリティである荻上チキさん。そんな方との対談は緊張もしましたが、何より楽しかったです。中でも、自己開示と自己呈示の話は「弱さを語れる社会にするには?」といった普段から僕が抱いていた問題に取り組むうえでとても参考になりました。今回の対談を読んで「みらいめがね2」はもちろん、荻上さんのラジオ番組にも興味を持って頂けたら嬉しいです。


 
P r o f i l e

写真提供 荻上チキさん

荻上 チキ(おぎうえ・ちき)
1981年兵庫県生まれ。評論家。メディア論を中心に、政治経済、社会問題、文化現象まで幅広く論じる。NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事。一般社団法人「社会調査支援機構チキラボ」所長。ラジオ番組「荻上チキ・Session」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。「荻上チキ・Session-22」で、2015年度ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞、2016年度ギャラクシー賞大賞を受賞。
著書に『未来をつくる権利 社会問題を読み解く6つの講義』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識』(PHP新書)など多数。
 

コラム

枠付け(フレーミング)を見直してみませんか

光野
 トランスジェンダーや障がい者が登場する映画の中には、観終わった後に「かわいそう」という感想で終わってしまう作品があって、そこにすごく違和感を持つことがあります。荻上さんはそのような映画についてどう思われますか。

荻上
 いわゆる「感動ポルノ」という問題ですね。「ポルノ」という語彙は要検討ですが、自分が優しい人間であるかのように味わって終わり、ということにならない注意が必要だと思います。
 登場人物を属性とか、あるいはドラマツルギーとしてのみ背景を切り取るというような作品が多々ありますよね。女性を性的な存在としてのみ描くとか、特定のキャラクターを意地悪い存在としてのみ描くとか。主人公を際立たせるための分かりやすいモブキャラとして描くときに、その人の属性を利用する。たとえば、結構ステレオタイプな描写として、「怠惰で自己管理ができない、他者に対して嫌らしい性格を持つ」ということを表すために、例えば太っていてなおかつ顔が醜いというように描くことで「心もひどいはずだ」と人々の心理を刺激する。これを感動のための道具に使うことがしばしばあります。
 『みらい2』の中でも『トランスジェンダーとハリウッド』のことを少し紹介しましたけれども、時には異常な人として、その次にはかわいそうな人として描かれるけれども、日常を生きる人間として描く映画はとても少ない。例えば、高校生5人組みたいなドラマの中に車椅子の人もなかなかいないし、ナヨナヨしたタイプのキャラクターは割と含まれがちだけど、その人のセクシャリティがフォーカスされるわけではなくて、何かのキャラとしていじられるということはありますね。
 ドラマなどの表現は人々のステレオタイプを再生するものになるので、普段からメディアを扱う評論家として注意しながら書くようにしています。「みらいめがね」シリーズはエッセイなので、「世の中がこうですよ」と書くよりは、自分の経験したもの、見たものについて、自分が思ったことをベースに、主語を「I」にして語るということを心がけています。そうやって投げかけることで、そういうものに対する見方を少しでも見直すきっかけに役立てばいいなと思います。
 
 

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