日本私学小学校中学校高等学校保護者連合会 会長 門傳 英慈
昭和37年9月25日生まれ。
宮城県築館高等学校卒業後、岩手大学人文社会科学部へ入学。
同大学卒業後は、家業である有限会社川口納豆へ入社。
平成12年 宮城県納豆事業協同組合 専務理事
平成14年 全国農協青年組織協議会 会長
株式会社日本農業新聞 取締役
平成20年 古川学園高等学校父母教師会 会長
平成30年 日本私学小学校中学校高等学校保護者連合会 会長就任
中村 良彦 相談役
聞き手
全国大学生協連 専務理事
毎田 伸一
毎田専務理事(以下毎田):自己紹介をお願いします。
中村相談役(以下中村):私、日本私立小学校中学高等学校保護者連合会の相談役の中村良彦と申します。歳は62歳です。よろしくお願い致します。
門傅会長(以下門傅):同じく、会長の門傅英慈です。年齢は55歳です。
毎田:お二方とも、保護者の代表ということでこの会のお仕事をされていると伺っているのですが。
中村:私は4人子供がいまして、2人が男の子、2人が女の子なのですが、25年前に長女が文京区にあります村田女子高等学校に入学した時に、校長先生から役員をやってくれないかということで役員をやりました。
それで2年間後援会の会長をやったわけですね。そのあとに次女が同じ学校に入学しまして、その時も役員をやって後援会の会長を2年やったわけですが、その時に東京都私立中学高等学校父母の会中央連合会というのがございまして、東京の会で、その中から副会長をやってくれないかということで副会長に入りました。
それから5年後に今度は東京の会長をやりまして、東京の会長をやれば今度必然的に全国の副会長になるわけです。全国の副会長をやりまして4年前に全国の会長をやりました。ですから、どっちかというと学校流れの流れで会に入っていったと。半ば強制的というかある意味蟻地獄というか。(笑)
毎田:役員を引き受ける最初のきっかけはそのようなかんじで始める方も多いかと思いますが、蟻地獄とは言ってもそれだけ魅力があったからなのではないでしょうか。どのあたりに魅力をお感じになられたのでしょうか。
中村:やはり、人との出会い触れ合いがあるからではないですかね。僕らは当然ボランティアですし無償だし、その中でやっぱり一生懸命やることが楽しいことだと思います。門傅副会長もご存知のとおり、2人でよく食事を行っていますからそういう出会い触れ合いがとても良いのではないかなと思います。
毎田:お母さん方がわりと多いのでしょうか。
中村:うちの全国の場合は今、顧問入れて17名いますが女性は1人だけです。
毎田:お父さん同士で繋がりが出来て、楽しそうですね。
中村:どっちかと言うと、みなさんお酒が好きだから飲みニケーションというやつですね。
毎田:そうは言っても教育の話題で盛り上がることができる飲み友達なのですね。
中村:そうですね。ですから、そういう話もしますし、また別の話もしますし、当然いろいろな県から来ますから、県の話をしたりします。
毎田:門傅副会長の場合はどうでしょう。
毎田:一番上のお子さんから3人ともとなると長い期間役員をやられたのでしょうか。
門傅:上と下で5歳しか差がなかったので、かぶるときは…。2人かぶっていることは何年かありましたが、会長は多分3年ぐらいだと思います。
毎田:実際にはそれぞれの学校での会長さん、役員の間ではどういうことが一番テーマになっていったのでしょうか。
中村:当然、公立の小学校と違ってそんなに役員会というのはないので、年に1学期に1回とか2回くらいですが、大体話題になるのが、体育祭の手伝いだとか、音楽のそういう手伝いとかが話題になりますね。
毎田:門傅会長のところもそうでしょうか?
門傅:そうですね。各委員会みたいなものがあって、例えば新聞を発行するところがあるなど、あとはいろいろな大会の応援ですよね。学校行事の手伝いが多いです。あとは、保護者会で講演会を企画したりしていましたね。
毎田:そういうことをやっている間にお父さん同士横で繋がったり、飲み友達が出来たり。
中村:私の場合は、高校の場合はほとんどが女性だったのでそういう飲み会はなかったですね。ですから食事会は行くのですが、そういう飲みみたいなものはなかったですね、お母さん達が多かった。女子校というのもありますからなかなかそれでまた違うのだなと思います。