"Peace Now!" のはじまり
〜大学生として社会に関わっていくこと〜
〜大学生として社会に関わっていくこと〜
「平和ゼミナール」の初回は私が全国学生委員長の時に始めたものです。そこを中心にお話しできればと思いますが、その前があるので、そこからお話しします。
SSDⅡと呼ばれるものが私たちのころにはありました。第2回国連軍縮特別総会といって、1982年の6月〜7月にあって、そこで核兵器の完全禁止と軍縮を求める国民署名運動を広げようと、全国各地の大学生協も取り組むことになりました。これに向けて募金もして、大学生協の代表団をニューヨークに派遣して。その際に、平和のために今私たちは何を考えないといけないのかを、色んな研究者、評論家、作家、芸術家の皆さんにお願いして文書を寄せてもらいました。若者に広く呼びかけてほしいと。それを一つの冊子にしたのが最初の『Peace Now!』。1982年に出版されました。
全国の大学生協の学生はとても感動しました。これをもっと広く伝えるために、この中のエッセンスを要約しながら、大学生協の組合員の運動・活動として、平和についてともに考えようということで生まれたのが、『Peace Now! '83』。全国で配って話し合うという趣旨で新入生向けに作りました。もっとビジュアルに、もっと頭だけでなく心体で感じられることが大事だと思ったので、『はだしのゲン』の作者の中沢啓治さんにも絵を入れてもらいました。
毎年8月の原水爆の大会に学生を派遣することは日本の生協の運動と一緒になってやっていたけれど、夏が来れば思い出す、8月が近づくと考えるというように、恒例行事になっていて、やる意義とか目的とか気持ちがこもっていなくて、マンネリの流れ作業になっていた。そういうあり方が、この冊子に取り組むことで恥ずかしくなった。「本物の平和の取り組みちゃうやん」って思ったんだよね。自分らしく自分で納得して学んで頑張ることをしないのはダメだと。「自分事」として頭と心で受け止めて自分が発信して、世の中に責任あるものとして自覚して行動する、そういう風に私たちが成長する場として捉えないといけないというギャップがありました。それが平和ゼミナールに取り組むきっかけでした。
「自分事」としてということは今の"Peace Now!"でも大事にしていますね。参加者も、テレビで見るから知っているとか、その時期になったら思い出すとか、そういう感覚だよねという話はしていて。継続的に、自分はどうしたいか考えられるようなセミナーになったらいいなと思って取り組んでいます。
「自分事」として考えるために、現地に行って体験したり人に聞いたりということが大切だと思って価値に置いて取り組んでいますが、当時もそういう意識でしたか?
「研究員」というのが印象的ですね。今の"Peace Now!" は実行委員会メインで作ったものを受けて学んで…もちろんそれも勉強になるし、得られることはたくさんありますが、自分から何か探究するとか、これが調べたいから調べるというのが薄い感じもします。
参加の動機を読んでいて、「どうにかして核を減らしたいと思って参加した」とか、そういう強い思いを持って参加している人が見られますが、それも今はあまりないし、あっても口にできないかなという感じがします。
やっぱり、高校生の平和ゼミナールではなく大学生の平和ゼミナールなら、当然大学生らしくしっかり学問的に、科学的に、総合的に体系的に…みたいな形で学ばないとダメだと思って、大人に相談をして関係者の方に講演してもらいました。
今までは他がやっているものに参加するだけだったけど、大学生協連独自の企画として学びの場を作りたかった。ヒロシマの旅だけでなく、ナガサキの旅も世界大会の開催に合わせて実施しました。世界大会には世界各国から様々な方がいらっしゃるので、その方にインタビューをしたり、分科会の発表準備をしたりと、アクティブに行動しました。これらが今にもつながっているんですね。私たちの青春の一ページでした。
そこは今と同じかもしれません。参加した人たちが帰って広げることが期待されるけれど、明らかに温度差があってそう簡単には広がらなかったと思います。できる範囲でやるし、参加者同士が何かの機会で交流をすることは、組織的にも自主的にもされていました。必ずしもどんどん広がったわけではない。本人の気持ちとしてはあっても、ギャップを感じてできないこともあります。大学生協の機関誌に書いてもらうとか、できるところは各地域でやっていました。
意識が変わったら行動が変わって問題が解決すると思っている人が多いけれど、意識はそう簡単には変わらない。逆に、参加して体験して行動してその結果として意識が変わると思います。日常の何かきっかけがあって参加したとか、地域の取り組みに顔を出したとか、そういうことを通じて人の心や考えは育って行く。影響を受けて変わっていく。そういう意味では、どれだけそういった接点を作れるかが大切だと思います。意識が低いからダメだと言っていてもそれは100年経っても変わらない。意識は環境が生み出しているので、それを取り巻く環境をどう変えるかを考えていくことが大切だと思います。
そのあたりは昔も今も言えることだと思います。でも、たとえば社会保障一つをとっても、日本経済新聞の安倍首相のインタビューで、今までは高齢者に対する社会保障だったけど、全世代に対する社会保障をということで、高等教育の無償化の問題もどう取り組むか考えたいと言っていた。つまり、政治のことを考えるという事はどの年齢の人にも大事なことです。特に未来の社会で活躍することが期待されている若者自身が社会に関心を持つことが大切。社会がどうなるかは自分たちの未来がどうなるかという意味でも重要だと思います。
社会に関心を持つあるいは社会に関わるということは政治に関心を持つこと政治に関わることとつながっているんです。関わり方によって色々と心配することはあると思いますが、特に大学生協なので、そういう素直な関わり方で社会や政治のことを大学生が学んだり意見が言えたりするような、安心して学べる、安心して意見が言える場づくりを考えてもらえればいいなと思っています。
本当に心配であれば、Twitter、HP、Websiteとか、検索して見つかるようなものは不用意に使わずに、「ここだけの話」と安心して議論できる場を作ればいい。正論で言えば、思想信条の自由は憲法が保障していて、就職その他において不当な理由で差別することは禁止されているので、真っ向から戦えば勝てる裁判ではあるけれど、いちいち面倒くさいし、裁判で自分の名前が流れるとそれはそれで結構自由度が減るという心配もあるでしょう。憲法があって基本的人権があって裁判があって、いざという時には正々堂々とすれば未来は切り開かれる。そういう社会だしそういう社会じゃないと困ると思っている。けれど、ある程度防衛的な気持ちになるのは仕方ないと思います。学生たちはそういう意味では別に強い存在ではない。懸念はあって当たり前なので、安心して議論できる場を大学生協がつくっていけるといい。
大学生協は日常の生活面を支えることをベースにしているので、素直な生活者の目線で社会や政治のことを考えられるといいと思います。高飛車に二者択一でどっちが正しいかを迫る団体ではないので。
平和ゼミナールのヒロシマへの報告の中でも取り上げていますが、核兵器が落とされるとか沖縄が戦場になるとか、戦争の被害は大変悲惨なものだけど、それは戦争の一側面にすぎなくて、戦争は何か得ようと目的を持って生まれている行為なので、戦争は加害であり侵略であること、それに対して抵抗があることを知ってほしい。被害・加害・抵抗の3つについて学ばないと戦争を知ったことにはならないし、立ち向かうしっかりとした考えや行動は生み出せないと思います。平和ゼミナールは、明らかに被害の面に注目していて、加害や抵抗の問題は弱かったと今振り返ると思います。
北朝鮮が弾道ミサイルを開発する、北朝鮮が核兵器を開発する。中国やロシアも持っているので、北朝鮮が新たに作るだけの話で、日本は常に核兵器で狙われたらいつでも終わる、防衛能力もない、常にそういう状況にある。この状況は直接的には朝鮮戦争、そして日本が朝鮮半島を支配して併合したことの流れの中で起こっている現実です。朝鮮半島、韓国、中国、さらにはあまり自覚がないけれど、フィリピンやインドネシアにも侵略しています。もちろん一部の日本人がインドネシアの独立のために活躍するとかいろんなことがあるので、単なる侵略ではなくて複雑な影響を与えています。旧ビルマのミャンマーやベトナムもそう。ベトナムも元々オランダの植民地だったところを日本が解放・占領して、その後フランスの支配下になって…パラオとか太平洋の島々もたくさん押さえていて…。こんな風に、日本は東南アジアにも侵略しています。
もちろんみなさんに責任があるわけじゃないけど、日本人として知らずにフィリピンの人たちと友達になるのか。もしかしたらそのおじいさんは戦争で亡くなっているかもしれないのに。もしかしたらそういうことがあるかもしれません。ですから、いま、日本が侵略した地域の若者たちとも一緒に過去から学び交流すること。これが本来平和の大きな礎になると思っています。
被害・加害・抵抗を知ること、国際交流をすること、これは大切にしてほしいと思います。
若林 靖永(わかばやし やすなが)
京都大学経済学部卒業、同大学院修了、博士(経済学)
1982年12月〜1983年12月 全国大学生活協同組合連合会 学生委員長を務める。
京都大学経営管理大学院 院長・教授 ならびに 京都大学大学院経済学研究科 教授
(専門はマーケティング・流通・商業)
商品開発・管理学会 前会長、京都市伝統産業活性化推進審議会 会長
NPO教育のためのTOC日本支部 理事長、京都大学生協 理事長などを務める。