1917年に開学し、「東洋一の女学校」と評された大阪樟蔭女子大学の前身である「樟蔭高等女学校」の制服として使用されました。当時は緑色の袴は大変珍しく、創立者森平蔵の妻たまの発案によるこの袴で通学する女学生が憧れの的でもありました。
戦後も樟蔭ブランドの象徴として受け継がれ、深緑の袴をふくらはぎまでの短めの長さで着用し、足元はストッキングにハイヒールという袴姿で、卒業式や大学祭などに参加しています。
樟蔭学園の礎を築いた創設者 森平蔵は、1901年に材木商として独立し、その後1915年に汽船会社を設立して、折からの海運ブームにより巨万の富を築きました。
森平蔵は子女が学問を収めることが困難だった教育界を憂い、質の高い女子教育を推進するために私財を投じて1917年「樟蔭高等女学校」(東大阪市菱屋西)を設立しました。当時の女子教育に手薄であった教養教育の充実を図り、高い教養を持ち一人の人間として真に成熟した女性を育成することを目的として、最高の教育環境と設備が整えられました。1926年には、当時の女子の最高教育機関である「樟蔭女子専門学校」も設立。戦後の教育改革により、1949年にいち早く女子大学を設置し、教育的機能を拡大させながら発展してきました。現在は、学芸学部、児童教育学部、健康栄養学部からなる3学部7学科体制で、社会において人間関係の要となる女性を育成しています。