《嗅》「香り」のはなし

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Essay「本と『香り』」

◆門脇みなみ

「香り」というものは、記憶と結びつきやすいもの。ふとしたときに漂ってきた香りから、過去を思い出すようなこともあるでしょう。香りが記憶と深く結びついているのは「気のせい」ではなく、人間の五感の中で唯一嗅覚だけが、海馬にほぼ直接的に信号を送ることができるからなのです。
 忘れたくない思い出には、香りを関連づけておくと良さそうですね。「読んだ本が素敵だったときには、読書後にラベンダーの香りを嗅ぐ」「行きつけの喫茶店では、必ず香りの良いブレンド珈琲を頼む」「大切な人と会うときには、お気に入りの香水をつける」等々。それらの香りを嗅いだとき、素敵な思い出に包まれることができそうです。

 
 

本を嗅ぐ

 紙媒体の本を開くとき、わたしはまず本を読むのではなく、本を嗅ぎます。本を開いてページの間に顔を埋めれば、独特でやわらかいインクと紙のにおいが身体いっぱいに流れ込んできます。良い香りなのかと聞かれたらよくわからないけれど、とにかく安心する、そして、わくわくする香りです。
 最近は「本棚が増えない」「持ち運びに便利」などの理由から、すっかり電子書籍派になってしまいましたが、ときどき、無性に紙媒体の本が読みたくて仕方なくなります。それは本の香りが恋しいから。電子書籍はとても便利ですが、残念ながら本の香りはしません。本の香りを堪能したくなったときは、本棚代わりにしているボックスからお気に入りを一冊取り出し、ページをめくって、深呼吸をします。本の香りを嗅ぐと、これまで本を読んだときに感じてきた、わくわく感や、どきどき感、はらはら感、ほのぼの感など、様々な感情が心をゆっくり横切っていきます。どうかこれからも本の香りが、素敵な記憶を想起させるものでありますように。

 
 

本と相性の良い「香り」

 本と相性の良い香りとは何でしょう。読書をしているときに、どのような香りが周囲に漂っていたら、嬉しいでしょうか。
「珈琲の香り」でしょうか。「ラベンダーの香り」でしょうか。それとも「木の香り」でしょうか。きっと人それぞれ違うと思いますが、わたしは「雨の香り」がすきです。
 雨の日は苦手です。湿気で髪がぼさぼさになってしまいますし、身体がずしんと重くなり、頭痛がするからです。ですが、読書のお供には「雨の香り」が最高だと思っています。あの、湿っぽくて、すこし埃っぽくて、決して良いにおいとは言えないけれど、なんだか懐かしさを感じさせる香り。
雨が降っている日、家の中で、ソファのすみっこに丸まって、本を読むときに感じる香り。窓ガラスをパタパタと叩く雨音を聞きながら、雨の匂いを感じて、本を読む時間が、わたしはとてもすきなのです。
 なので雨が降ると、読書がしたくなります。これを書いている今日も、ちょうど雨が降っています。この後、雨の匂いを感じながら、ブランケットをかぶって、ゆっくりと読書でもしましょうか。

 
 

本で学ぶ「香り」


(栗原冬子〈佐々木薫=監修〉
『新版 アロマテラピーレシピ事典』
マイナビ出版/定価1,595円(税込) 購入はこちら >

 本の香りや雨の香りがすきなのはもちろんですが、香水やアロマもだいすきです。外出をするときにはお気に入りの香水を身に纏いますし、お部屋でゆっくりするときにはアロマ(精油)を焚きます。
「これからアロマを取り入れてみたいな」という方におすすめの本があります。『新版アロマテラピーレシピ事典』(栗原冬子〈佐々木 薫=監修〉/マイナビ出版)です。こちらの本では21種類の精油が紹介されています。……少ないなと思いましたか? そこが良いのです。誰でも手に取りやすい精油だけが、厳選して紹介されているので「結局どれを選べばいいの?」と迷うことになりません。また精油の活用方法も色々載っているので「精油を買ったのはいいけれど、使い切れない!」ということにもなりにくいです。
 ちなみにわたしの家に常備してあるのは、ラベンダー・オレンジスイート・ペパーミントです。ゆったりしたいときには、ラベンダーかオレンジスイートを。ブレンドして使うこともあります。しゃきっとしたいときには、ペパーミントを。気分もすっきりします。
『読書のいずみ』を読んでいる、そこのあなた。『読書のいずみ』はどんな香りがするのか、気になっているのではないでしょうか。つい、ページに鼻を近づけてしまった方もいるかもしれませんね。あなたの手元にある『読書のいずみ』は、どのような香りがしましたか。その香りが、どうか素敵なものでありますように。これから本を読むときに、ふと思い出すような、そんなものでありますように。

 
 
 

Short Story「ひとりの朝」

◆永井七実(金沢大学2年生)

 目覚まし時計が鳴る。私は目を覚ます。眠い目をこすって起き上がる。外に出ると空はまだ暗く、秋の空気は少し冷たい。体をゆっくり伸ばす。関節が広がっていくと同時に、いくつかの細胞がプチプチとはじける。ふわっと昨日の夜の雨のにおいを感じる。
 頭が急にはっきりしてきて私は走りだす。コンビニだけは明かりがついていて、人の気配がする。脇を通り過ぎる。世界は自分の汗のにおいだけになる。少しずつペースを上げて走る。頭はからっぽで、それが気持ちいい。走る。走る。走る。ペースを上げる。体の疲れは感じない。目指す灯台が少しずつ大きくなってくる。階段をくだると、灯台が目の前に見えた。
 灯台で折り返すと、空はだんだん白みはじめる。行きは下りだった階段を駆け上がると、少し体が重くなるが、足を前に運ぶ。少しペースを落として走っていると、また足が前へ進み始める。周りの家々から味噌汁や白米の炊けるにおいがしてくる。ふいにカレーのにおいが漂ってきて、昨日の夕食はカレーだったんだろうかと想像しておかしくなる。私は母の作るカレーが大好物だ。自分で作ったカレーはそれはそれでおいしいのだけど、時折どうしてもお母さんの作ってくれる夏野菜カレーが恋しくなる。それでも今夜はカレーを作ろうと思いながら走る。大通りに出ると鼻孔が排気ガスのにおいで満ちる。女友達は排気ガスを嫌がる人が多いし、私も好きではない。でも、私はガスやガソリンのにおいを感じると、つい鼻孔を広げてそのにおいを丁寧にかいでしまう。
 大通りの曲がり角にはパン屋さんがある。少しだけ高いけれどパンもトッピングおいしくて、スタッフさんも明るい素敵な店だ。パン屋さんからパン独特のほんのりと甘いにおいが漂ってきて、私は思い切り息を吸い込む。そのにおいは私を幸せにする。
 次の瞬間、私は胃液が逆流するのを感じた。抵抗できないまま、酸っぱいにおいが鼻をいっぱいにする。私は眉をしかめて胃液を飲み込み、胃に戻す。そしてゆっくりと走り続ける。私が住むアパートが見えてくる。
 重くなった体でなんとかゴールし、私は体を引きずるように家に入る。一人暮らしには少し広すぎる部屋で私は寝転がる。火照ったからだが少しずつ冷えていくので毛布をかぶる。暖かい毛布に包まれて、私はさっきの胃液のつんとしたにおいを感じて少しだけ泣いた。

 

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