紀行文 ポーランドひとり歩きに

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私ポーランドひとり歩き

 私は小さい頃からショパンを聞いたり弾いたりするのが好きで、いつか彼の故郷であるポーランドを訪れてみたいと思っていた。そんな私の背中を押してくれたのが、沢木耕太郎さんの『深夜特急』。この本は著者が実際に一人で海外に渡った経験を元に描かれており、これを読んだ直後の私は、早く旅に行きたくて仕方がなかった。心配もあったが、ポーランドをゆっくり堪能できるのは学生の今しかない!と思い、早速フライトを検索した。出発3か月前までに、北京経由ポーランド行の往復券の購入、現地のユースホステルや列車の手配を済ませて下準備を整えた。

 フライトは夜11時に羽田発。大きなバックパックを背負って国際便に乗るのは胸が高鳴った。まずは4時間かけて北京国際空港へ。機内はほとんど中国人。「僕は中国に旅行しに行くのかなぁ」と錯覚してしまうくらいだった。翌日午前3時頃に北京空港に到着。ハブ空港とはいえ深夜営業しているお店はなく、次のフライトまで4時間もあったため、ベンチで横になって寝た。一応ジャンパーは持って行ったものの空港内が想像以上に寒く、ブルブル震えていた。2本目のフライトは早朝に出発。8時間のフライトは想像通り長く、途中からはロシアの永久凍土の上をひたすら飛ぶので景色もあまり良くない。そして、現地時間の朝7時にワルシャワ・ショパン空港に着いた。ポーランドに入国したことに感動もしていたが、その時はとにかく眠かった。

ピアノの詩人、ショパンを称える像。近付いて見ると意外と大きいので存在感がある。



 一息ついてからワルシャワの中心部へ向かうことに。空港から電車に乗って20分足らずでワルシャワ中央駅へ。駅構内のアナウンスはすべてポーランド語で何を言っているのか全く見当がつかない。まずはスマホを使えるようにするために駅近くのデパートでSIMカードを購入。そしてグーグルマップを使いながら、バスに乗ってワジェンキ公園へ。ここはショパンの大きな銅像があることで知られている。公園内は涼しい風が吹き気持ちが良かった。他の観光客の姿もちらほら見られる。
 午後もそのままポーランド中心街を散策。中央駅のそばにある文化科学宮殿の展望台に昇り、ワルシャワの景色を眺めた。ワルシャワは新市街と旧市街という大きく2つの地区に分かれており、新市街はオフィスやマンションなどの高層ビルが立ち並ぶのに対して、旧市街は戦前から存在する歴史ある建物が密集している。街並みを眺めるだけでも面白い。
 その後は、聖十字架教会へ。こちらはショパンの心臓が柱に埋め込まれているという場所で有名である。外観は工事中で灰色の幕に覆われていたが、中へ入るとヨーロッパを感じさせる荘厳な教会そのままである。近くにいたおじさんがニコニコしながら例の柱の場所を教えてくれた。「ここにショパンの心臓があるのか」と思うと、少し不思議な気持ちにもなった。 
 17時になり、予約をしていたユースホステルへ。近くのベッドには2人のイタリア人青年がいたので挨拶した。彼らも学生でバカンスを利用してヨーロッパを旅しているらしい。10分くらい話していると、彼がニコッとしながらスキットルを取り出して、私に薦めてきた。私はお酒にかなり弱いが、飲まないのも場違いなのでゴクッと飲んでみると、ウィスキーの熱い塊が喉を温めた。あまり美味しくはなかったが、少し涼しいワルシャワの空気にはピッタリだ。夜はアマチュア演奏家によるサロンコンサートに出向いた。

生活感の溢れるドミトリーの8人部屋。知らない男女が同じ部屋に寝泊まりしていることも珍しくない。

 
 2日目、ホステルで朝食をとっていると、知らない老人にいきなり「Beijin?(北京から来たのか)」と話しかけられた。「日本から来たのだ」というと、いきなり笑顔で「日本の庭は素晴らしい」と称賛してくれた。ちょっとユニークな人だ。この日はショパンの生家があるジェラゾヴァ・ヴォラという村へ向かった。「地球の歩き方」に掲載されている通り、ソハチェフという町まで鉄道を使い、そこからローカルバスで現地へ向かうつもりだった。しかし、実際にソハチェフに着いた時には、次のバスまで2時間待ちという状況だったので、タクシーで行こうとした。タクシー運転手に英語で「ショパンの生家へ行きたいんだ」というと、早口のポーランド語で返された。もちろん何を言っているのか分からない。ここで引き返すわけにもいかないので、ポーランド語で「ショパンの生家まで行きたい」と紙に書いて運転手に見せた。すると、彼がようやく納得してくれたのでそのまま乗車。20分足らずで到着した。生家は広大な敷地を擁しており、庭を歩いているだけでも気持ちが良い。建物の中は博物館のような作りになっており、彼の肖像画や自筆譜なども多く展示されていた。
 

ジェラゾヴァ・ヴォラという村にあるショパンの生家。

 
 午後はワルシャワに戻り、ショパン博物館へ。平日だったこともあり、好きなだけじっくり見られた。そこは彼にまつわる膨大な資料が展示されてあったり、作品の音源が聞けたりとショパン好きにはたまらない場所であった。外を歩いているとワルシャワ音楽院の学生寮からショパンのエチュードを弾いている音が聞こえてきた。まさに音楽が溢れる街。
 夜は旧市街の景色を楽しんだ。展望台に昇るとオレンジ色の光に照らされた古い建物の数々。まるで100年前にタイムトリップしたような気分になった。ホステルではイタリア人の青年に別れを告げた。私はクラクフに行くのに対し、彼らはベルリンへ向かうらしい。「Have a nice trip !」と言って就寝。
 

旧市街のライトアップ。ワルシャワはほとんどの建物が戦争で壊されてしまったが、市民たちの努力で当時の姿を取り戻している。

 
 3日目はポーランドの第2の町、クラクフへ。EICという高速列車に乗り3時間。クラクフ駅に着くと、まずはホステルにバックパックを預けて、旧市街地を散策。ワルシャワよりも戦火を免れた建物が多く存在しているからか、“古都”というイメージそのままだった。その後、映画の舞台にもなったシンドラーの工場へ行ってみたが、チケットオフィスの前には長蛇の列……。残念なことに私のひとつ前の人でチケットは売り切れだと告げられてしまった。すると、近くにいた警備員がニヤニヤしながら手招きしてきたので、ついて行ってみると、ポケットから入場券を出し、正規よりも少し高い値段で売り付けてきた。法外な値段ではなかったのでそのまま購入したが、なんて寛容なところなんだろう……と驚いた。日本でこんな光景は絶対に有り得ない。
 夜は旧市街の中心部をブラブラした。途中でポーランド人のキレイなお姉さんに「今夜予定ある?」といきなり聞かれて少し胸が高ぶったが、よく見るとガールズバーのキャッチだった。少し落胆。
 4日目はアウシュビッツへ。ホステルの受付の人が教えてくれた通りにバスで向かった。世界遺産にもなっているため現地は人でごった返していた。広大な敷地の中で一番記憶に残ったのは、ガス室。ここでたくさんの命が一瞬で失われたことを考えると身の毛のよだつ思いがした。他にも当時の状況がありありと伝わるような展示があり、負の歴史の重さを身をもって体感した。
 

この線路を伝って国内外からたくさんのユダヤ人が連れてこられたとされている。

 ホステルに戻ると、今朝までいたはずのベトナム人女性の代わりに、イギリスから来た老人が隣のベッドに座っていた。お互いに自己紹介をすると、1時間くらい色々な話をしてくれた。「君も学生のうちは一生懸命に勉強しなさい」と言っていることはなんとか理解できた。夜は大衆食堂のミルクバーに行き、ポーランド料理をお腹いっぱい食べた。次の日にポーランドを離れることを考えると寂しい気持ちになった。

ミルクバーでは伝統的なポーランド料理も安価で食べられる。右がピエロギ、左がコートレット(ポーランド風カツレツ)。スープ料理も欠かせない。

 最終日の5日目は朝早く起き、隣のベッドに寝ていた老人に別れを告げてワルシャワへ。ここでお土産を買い揃えてそのまま空港へ向かった。帰りのフライトは特に問題なく、無事に帰国。6日間の旅はあっという間に過ぎていった。
 今回は、ショパンが好きだからという単純な理由でポーランドを訪れたが、自分が知らなかった様々な魅力に出会えて本当に良かった。ポーランドは他のヨーロッパ諸国に比べて観光客が少ないが、その分ゆっくり巡ることができるので本当にオススメである。知らない土地に1人で行くことは、正直楽しいことよりも大変なことの方が多い。しかしその分、団体ツアーでは味わえないような密度の濃い体験や刺激を受けられる。友達と一緒に綺麗な写真を撮りに行く旅行も良いが、自分の思うままに1人でブラブラしてみるのもたまには良いかもしれない。
 
P r o f i l e

戸松立希(とまつ・たつき)

慶應義塾大学文学部3年生。『読書のいずみ』委員。大学では芸術関連の専攻に所属しており、主にロシアの作曲家について学んでいる。最近のマイブームは筋トレ。授業の履修を減らしてジムに通うほど熱中。好きな作家は村上春樹。

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