ミシェル・フーコー=著、
フレデリック・グロ=編
〈慎改康之=訳〉
『性の歴史IV 肉の告白』
新潮社/定価4,730円(税込)
権力は単なる抑圧の手段ではなく、人々を生かし殖やす管理の作用もある(おおざっぱな理解ですが)、というフーコーの洞察は、哲学だけでなく社会科学全般に大きな影響を与えました。現代人がごく自然に受け入れている事柄でも、歴史を丹念に追い、いかに権力が作用してきたかを描き出しました。
彼の扱ったテーマは「狂気」や「監獄」が有名ですが、「性」も重要な分野でした。
「性」のことって、なかなか大きな声では話しづらいですよね。それは「性」が抑圧されているから、という従来の見方をフーコーは『性の歴史』第一巻で逆転させます。むしろ近代以降、特に西欧の人々は性について饒舌になっているというのです。そしてこれも、歴史的な経緯があると彼は考えました。
性の歴史を辿るフーコーの旅は最初、16〜18世紀のヨーロッパを目的地に定めます。しかし途中で「こりゃあかん」と思ったようです。もっと遡らないといけない。
そこで第二巻では、紀元前4世紀の古代ギリシャまで時空を飛びます。当時の史料を渉猟し、快楽を得るためにどのようなことが実践されていたのかを調べました。日本では弥生時代、遺跡や中国の文献で当時の様子が分かる程度です。その頃から(しかも性に関する)文献の蓄積があるんですね。第三巻では紀元後1世紀から2世紀のローマ時代について書かれました。
第四巻は原稿が完成したものの、彼が亡くなったことで長らく未刊でした。それがおよそ30年後の2018年、研究者の編集で最終巻となる第四巻『肉の告白』がフランスで刊行され話題に。日本語訳は、フーコーに関する著作でも知られる慎改康之さんが手がけました。
第四巻で取り上げられるのは、紀元4世紀から5世紀のキリスト教の文献です。当時の教父たちが性について説いた心得や規範は、苦笑するような議論や妄想めいた想像も多いのですが、真面目かつ丁寧に読み進めます。それで本が分厚くなるのですが、次第に、フーコー本人と一緒に当時のテキストを読んでいる気持ちになります。そして、私たちの「性」に対する感覚の一端が、こうした過去の時代に早くも現れていたことが示されるのです。
なお、石田英敬さんの書評(「波」1月号)と相澤伸依さんの書評(「新潮」3月号)は、どちらも分かりやすくこのシリーズの内容と意義を解説していておすすめです(石田さんの書評はウェブでも読めます。)。
(紹介執筆=新潮社・田畑茂樹)
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