日本手話の音色

特集「音とラジオと」記事一覧

小林 信恵(日本手話講師) 松田 俊介(放送大学非常勤講師)

 コミュニケーションで大事なのが、「話す」こと。話すことには音声がつきものと考えていませんか? 日本には音声を使わない言語として日本手話がありますが、なかなか触れる機会はないのでは。今回、日本のろう者の間で使われている日本手話について、日本手話話者の小林信恵さんと言語学者の松田俊介さんにお話をうかがってきました。

 

 

日本で使われる手話には、日本手話と日本語対応手話があると聞きました。この二つの違いをお聞きしたいです。

 

小林
 日本語対応手話とは、一言で言えば「日本語を手で表現したもの」です。具体的には、日本語の文を単語に分け、その一つひとつを日本手話の単語(もしくは日本手話の単語を元にした独自の単語)に対応させ、日本語の語順通りに並べます。このようにして単語を並べると同時に、対応する日本語を声に出して言うことも多いです。
 一方、日本手話は日本語とは異なる文法を持つ言語です。そのため、語順が日本語と日本手話で異なることがあります。例えば、「誰が行くの?」という文を日本手話で表すと、「誰が」にあたる語は文末に来ます。

 

「聴者」「ろう者」という言葉を初めて聞きました。日本にいるろう者は全員日本手話でコミュニケーションするのでしょうか。

 

松田
 私も日本手話を学びはじめて「聴者」「ろう者」という言葉を知りました。「聴者」とは文字通り「聴こえる人」のことですが、日本手話の世界では多くの場合、日本語話者のことを指します。

 

小林
 「ろう者」の定義は本当に様々です。一つ例を挙げると、「ろう文化宣言」(『現代思想』23-3収録 木村・市田 1995)では、ろう者とは日本手話を話す人たちのことであると定義されています。この定義に従うと、さきほどの質問の答えはイエスということになります。

 

では、ろう者はどうやって日本手話を習得するのでしょうか。

 

小林
 ろう者の集団の中で習得します。昔であれば、例えばろう学校の寄宿舎ですね。幼稚部から高等部までの一貫教育を行なうろう学校が多いので、寄宿舎には幅広い年齢のろう者がいました。かつてろう学校では日本手話の使用は禁止されていましたが、寄宿舎では黙認されていたので、そこで日本手話を習得していたということです。
 また、家庭内で習得する場合もあります。例えば、親が日本手話話者であれば、その子供は親から日本手話を習得できます。よくある誤解なのですが、聞こえない親のもとに生まれた子供は必ず日本手話を話すというわけではありません。聞こえないけれども日本手話を話さないという親もいるからです。

 

日本手話がろう学校で禁止されていたのはなぜですか。

 

小林
 今も昔もろう教育の基本方針は、日本語を習得させるというものです。ろう者は社会の中でマイノリティ(少数派)なので、聴者というマジョリティ(多数派)に合わせる必要があるという考え方ですね。また、ろう児にとっては日本手話の方が明らかに習得が楽なので、日本語を習得させるためには日本手話を容認してはならないと教育者は考えたようです。
 1880年のろう教育国際会議(通称ミラノ会議)の影響も大きかったと思います。この会議は、ろう教育における手話の使用を禁止し、日本もこの決議に従いました。

 

松田
 沖縄で、標準語を強制的に習得させるために、琉球語の使用を禁止していたことと似ていますね。

 

ろう者にとっては、日本手話の方がコミュニケーションを取りやすいですか。

 

小林
 そうですね。私の母語は日本手話なので、日本手話の方が日本語よりも自分の考えを表現しやすいんです。仕事の関係でメールを日本語で書くことがありますが、時々考え込んでしまいます。また、私の書く日本語にはどうしても日本手話の影響が出てしまいます。

 

松田
 小林さんは「場合」という日本語をよく使いますね。日本語話者なら「〜なら」や「〜たら」を使うところで「場合」と書いてしまう。日本手話では「場合」「〜なら」「〜たら」を同じ言葉で表すことがあるからかもしれません。

 

そのようなことが起こるのも、日本手話独自の文法や言い回しがあってのことなのでしょうか。

 

小林
 そうだと思います。例えば、日本手話では顔や肩の動きも重要な要素になるのですが、これも日本手話独自の文法の一つとして数えることができます。日本手話は手だけを使って話すというイメージがあるかもしれませんが、実はそうではないんです。さっきの「誰が行くの?」という文だと、「誰が」にあたる語は手指動作に加えて目を見開きながら軽く首を振ります。
 他にも日本手話らしい話し方として、自分の体験を語るときに、最初に感想を言った後に詳しく体験を語るというのがあります。「楽しかったことは〜」とか「カチンときたことは〜」みたいに。

 

松田
 この種の語りを日本語に翻訳するときにはいつも苦労します。

 

小林
 また、私の個人的な感覚ですが、日本手話で話しているときには途中に確認を入れることが多いと思います。例えば、ある俳優の話をしたいときには、「あのドラマに出てる人、知ってる? 髪が長くて目がぱっちりしてる人。わかるよね? あの人がさぁ……」みたいな話し方をすることが多いような気がします。
 あとは、日本語と比べて日本手話の方が明示的に言語化します。日本語で「今日残業をお願いしたいんだけど……」と言うことありますよね。「残業できますか」とはっきり言わずに「……」で伝える。それに対して日本手話では、もちろん遠回しに言うこともありますが、「今日残業をお願いしたいんだけど、できますか?」とはっきり言うことの方が多いです。依頼された日本語話者はびっくりするかもしれません。すごくストレートな言い方なので。

 

松田
 以前、小林さんとご飯を食べに行ったときに、私が「ここのカレーにはチキンが入ってるよ」と言ったら、小林さんは「だからどうしたの?」と返してきたんです。日本語話者だったら、聞き手が私の発言をきっかけにして「へー、そうなんだ。前も食べたの?」みたいに会話を広げることが多いと思います。しかし、日本手話話者はそうしないので、話し手が「ここのカレーにはチキンが入ってて美味しいよ。すごくおすすめ。」のようにきちんと言語化して言わなければならないということを学びました。

 

日本手話には方言はありますか。

 

小林
 たくさんあります。私は生まれが愛知で、夫は東京生まれのろう者ですが、私と両親の会話に出てくる言葉が夫にはわからないことが時々あります。以前、私の両親が東京に遊びに来ました。そして帰り際にある表現をしたんですが、夫はそれの意味がわからなかったんです。愛知や群馬で「気をつけてね」という意味を表す言葉だったのですが、その方言特有の言い方だったので夫はそれがわからなかったわけです。

 

日本手話の新しい表現はどうやって広まるのでしょうか。

 

小林
 多くの場合、ろうコミュニティで自然に生まれたものが人伝に広がります。今はテレビやSNSが発達しているので、広まるのはあっという間です。最近では「コロナ(ウイルス)」「ウクライナ」にあたる言葉がテレビなどを通じて広まりました。また、表現が一つに定まっているわけではないですが、「インスタ映え」を意味する言葉もSNSで見かけます。 

 

国や地域によっていろいろな手話(アメリカ手話、イギリス手話、中国手話、etc.)があると聞きました。

 

小林
 よくある誤解ですが、手話は世界共通ではありません。私は、例えば中国手話はほとんどわかりません。若い人の中には複数の手話ができる人もいます。

 

ろう者の文化について知りたいです。

 

小林
 「ろう文化」の定義にもよると思うのですが、よく挙げられる例としてはろう者と聴者の行動様式の違いがあります。例えば、聴者は話しかけるときに声を使うことが多いですよね。ろう者は手招きをしたり肩を叩いたりします。また、講演や上演の前に参加者の注意を引くとき、聴者が音声アナウンスを使うのに対して、ろう者は会場の照明をチカチカ点滅させます。思考様式の違いもあると言われていますが、行動は目に見えるので、思考よりも違いに気づきやすいですよね。

 

最後に、日本手話に興味のある学生さんに一言お願いします。

 

松田
 外国語学習を通して、逆に母語の特徴に気づくことがあると思うんです。私は日本手話を学ぶことで「日本語では〇〇と言うが、日本手話では△△と言うのか!」と驚き、逆に日本語らしさに気づくという体験を毎日しています。皆さんも日本手話を学ぶとそんな体験ができるはずです。

 

小林
 日本手話を学ぶときには、日本語とは違う点を楽しむことが大事です。例えば日本語と日本手話は話の運び方が違うので、日本語話者からすると「なぜこんな言い方をするの?」と違和感を抱くときがあると思うんです。そのときに、その「違和感」を「楽しみ」に変えられると、学ぶことがおもしろくなるのではないでしょうか。

 

(聞き手=任 冬桜)

 
 

 

Column 身体を使う日本手話

松田
 言語が異なればものの分類の仕方も異なることがあります。例えば、日本語が「湯」「水」で区別するところを英語は water で済ませます(『ことばと文化』鈴木孝夫 1973)。日本語と日本手話の間にもこうした差が観察されます。一般に、日本手話は日本語よりも身体動作を細かく区別します。例えば、日本語が「ドアを開ける」という表現で済ませるときに、日本手話は開け方 (押す、引くなど) に応じて異なる表現を使います。これは、日本手話がメッセージの伝達を身体を使って行なうからです。試しに、押すでも引くでもスライドするでもない「完全に中立な身体動作」でドアを開けてみてください。無理ですよね。身体動作をまさに身体で表す以上、押すや引くなどの身体動作を具体的に描写しなければならないのです。

 
 

 

Column 伝わらないのは誰のせい?

松田
 日本手話が明示的に言語化するということを「会話における責任」(『英語の感覚・日本語の感覚』池上嘉彦 2006)という概念で捉え直してみましょう。コミュニケーションが失敗したとき、話し手にその責任がある(話し手の情報提示が不十分だった)とする言語と、聞き手にその責任がある(聞き手の理解しようとする努力が不十分だった)とする言語があります。日本語は聞き手責任の言語、英語は話し手責任の言語であると言われています。
 先の例では、話し手(松田)が情報を十分に提示しなかったため、聞き手(小林)が「だから何ですか?」と聞いていました。ここから、日本手話は話し手責任の言語であると言えそうです。
 ただこれはあくまでも傾向で、日本手話でも聞き手に責任が帰される場合はあります。

 
 
P r o f i l e

小林 信恵(こばやし・のぶえ)
愛知県生まれ。ろう者。会社員を経て、現在は日本手話講師 (通訳・翻訳の指導)。日本語と日本手話の会話の運び方に興味がある。趣味は、食べ歩き、様々な入浴剤を試すこと。

 

松田 俊介(まつだ・しゅんすけ)
高知県生まれ。聴者。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在学中。放送大学非常勤講師。専門は言語学。特に、日本手話の比喩を専門としている。好物はカレーと餃子。好きなアニメはNARUTO。

 

記事へ戻る


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ