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Withコロナ キラリ人インタビュー 中京大学教養教育院 教授 大内 裕和先生

「ブラックバイト」の名づけ親として有名な大内裕和さん。中京大学で教鞭を取りながら、奨学金対策全国会議の共同代表を務められ、日本の奨学金問題について『奨学金は日本を滅ぼす』を著されるなどご活躍されています。今回のヒアリングでは、学費に関して学生が声を30年ぶりに声をあげ運動に結びついたそのわけや、日本の学生支援の問題点、ブラックバイトと奨学金の関係まで多岐にわたって教えていただきました。

インタビュイー

中京大学教養教育院 教授 大内 裕和先生
プロフィール

聞き手

  • 矢間 裕大
    (全国大学生協連学生委員会 学生委員長)
  • 皆川 淳哉
    (全国大学生協連学生委員会)
  • 安井 大幸
    (全国大学生協連学生委員会)
  • 井上 弥咲
    (全国大学生協連学生委員会)

本日司会進行を務めさせていただきます。琉球大学4年次の安井大幸です。どうぞよろしくお願いいたします。

全国大学生協連学生委員会で委員長をしております。矢間裕大です。

全国大学生協連学生委員会、長野大学出身の皆川淳哉です。

大変恐縮ではありますが、大内先生からも自己紹介いただいてよろしいでしょうか。

中京大学教養教育院の大内裕和です。2013年から奨学金の問題に取り組んでいます。2013年3月に結成された奨学金問題対策全国会議の共同代表をしています。2013年6月、「学生であることを尊重しないアルバイト」をブラックバイトと名づけました。愛知県には全国で唯一のブラックバイト専門の弁護団「ブラックバイト対策弁護団あいち」があって、そのメンバーの一人として学生のバイトについての相談を受けています。

奨学金問題に取り組み始めたきっかけ

2013年から奨学金問題に取り組んでいると伺ったが、そのきっかけは何でしょうか?

今は愛知県の中京大学にいますが、その前は愛媛県の松山大学で教えていました。松山大学にいた時に近くの愛媛大学でも授業を担当していて、その授業で学生に奨学金について文章を書いてもらったら、自分が学生の時と比べて奨学金を借りている額が跳ね上がっていたこと、愛媛大学で私の授業をとっていた学生の半数以上が利用していることに気付いて、これは大きな問題だと思ったのがきっかけです。

学生が学費について声を上げたその理由

連合会のHPのところにご寄稿いただきました。最近多くの学生が声を上げている状態が多くみられます。学生が声を上げるのは日本の社会では少ないと思います。ぱっと思い出されるのはSEALDsです。それ以来の動きだと思います。大内先生はこの状況をどう捉えていますか?

私もアルバイトの相談に乗っていますが、コロナ感染が広がった今年の3月頃からバイトの相談内容が急に変わりました。普段はバイト先でひどい目に合っているという内容が多かったですが、「3月になったらバイトがない」といったようにバイト先の不満ではなく、バイトのシフトが減ることについての相談が増えました。たとえば東京ディズニーランドは休みになりましたから、バイトは完全になくなっています。テーマパークはアルバイトがありません。3月からバイトが減り、「これは大変なことになるな」と思っていたら予想通りでした。私が2013年の6月に学生であることを尊重しないアルバイトのことを「ブラックバイト」と名付けた理由は、私が学生であった約30年前と現在では、「アルバイト」が全く違うことにあります。当時のアルバイトの仕事の大変さは正社員とは違っていました。「今日休みたい」と言えば比較的簡単に休めましたし、試験前に休むのは当たり前でした。ブラックバイトでびっくりしたのは、「なんでこんなにバイトを休めないのだ」「なんでバイトを辞めるのが難しいのか」ということです。バイトを休んだり、辞めたりしようとすれば「代わりを見つけてこい」と今は言われますからね。バイトの職場での位置づけが変わったのです。30年前は、居酒屋にもレストランにも正社員がいました。責任の重い仕事は正社員、責任の軽い仕事はバイトという区別がありました。特にびっくりしたのは、学生が職場で責任者とか、バイトリーダーとかをしているということです。この20~30年で変わったのは、正規労働者が急速に減少したことによって、アルバイトが責任の重い仕事を担う職場が増えたということです。それにもかかわらず、当時よりもバイトの時給は上がっていなくて、低賃金なのに責任の重い仕事をさせられています。だからブラックバイトなのです。以前は時給に見合った労働でしたが、今のバイトは賃金に見合わないのです。私は以前のバイトを知っているので、当時と比べて今のバイトがめちゃくちゃにきついことがわかります。「なんで時給たった900円でそんなに責任の重い仕事をしているのか」と今のバイトを見ていて感じますが、職場に正社員がいなくなっていますからバイトが基幹労働をしているのが実態です。だから簡単には休めないですし、試験前にも休めないのです。これが職場の問題です。もうひとつは、なぜ私の学生のころはブラックバイトがなかったのかというと、そんなブラックバイトをだれもやらなかったからです。1995年頃は親からの仕送り平均が月に十万円以上ある環境で、学費や生活のためにバイトをする必要がある学生は少数派でした。多くの学生にとって、バイトは趣味やサークルといった「自分が自由に使えるお金」のためにするものでした。だから少し嫌なことがあればすぐに辞められました。当時は学生がいなくなったら困るから、バイト先の多くが学生に気を遣っていました。「休んでいいよ、無理しなくていいよ」といった感じです。でないと辞めてしまうのです。学生の立場が強かったんです。それにバイトを辞めても学生生活を続けられる学生が多かったのです。仕送り額の平均が大幅に下がっています。東京はワンルームの家賃が月8万円くらいなので、5万円の仕送りでは足りません。この場合には家賃も学生が支払う必要があります。住宅費、交通費、教科書代、講座代、自動車学校に通うお金、就活の交通費とかですね。多くの学生が遊びのお金ではなく、学生生活に必要なお金をバイトで稼ぐようになりました。それから私の学生の頃は、就職活動の交通費がほとんどかかりませんでした。なぜなら会社が交通費を出していたからです。多くの学生が、学費や学生生活に必要な費用を稼ぐようになりました。そうなると職場としても、学生は辞めないから強く出られるようになったんです。学生の立場がとても弱くなったということです。「リーダーになれ」というのがいい例です。バイトのお金の使い道が変わってきました。人によって差はありますが、バイトがないと学生生活が続けられない状況になってきています。そう考えると、3月のバイトが無くなると春学期の学費が払えない人が出てくると予想されます。ですから、私は最初に学費の延納措置を主張しました。一番しんどいのは、学費を払えなくて大学を辞めなければならないことだと思ったからです。その主張は一定の効果がありました。しかし、感染が拡大して3月も4月も5月もバイトができないということになりました。バイトがないままだと学生は生活ができなくなってしまいます。常にバイトをしていないと学生生活できないという学生にとっては、バイトがなくなることは死活問題です。また、「4月は乗り切ったけれど、ひと月分バイトがないと秋の学費が間に合わない」という学生がいます。なぜ学生が声を上げたかというと、生活がギリギリの学生が増えているからです。中京大の学生で学費半額のアクションに協力した学生の中には、「自分は困っていないが、友達がかわいそうだから署名した」という人もいました。みんながみんなバイト代で学費を稼いでいるわけではありませんが、自分の周りに学費の支払いで困っている学生が見えるようになりました。困っている学生の姿が視界に入っているから、署名が集まったのです。学生が学費について運動を起こしたのは30年以上ぶりのことでした。全員ではないが、明らかに困っている学生、ギリギリでがんばっている友達を助けたいという想いで動いていました。それはよいことだと思います。すべての学生が困っていますが、特に困っている学生は学費をアルバイト代で稼いでいる学生です。そういったギリギリの学生、追い込まれている学生のことが、ギリギリではない学生に見えたことがこの動きに繋がったのだと思います。

学生が声を上げた理由が分かってきました。

多くの大学教員は、学生の現状理解が十分ではないと思います。私はバイトと奨学金のことを研究しているからわかる面があります。「学生の生活のリアリティ」を十分には理解していない大学教員が多いのだと思います。大学も学生のバイトは見ていません。大学で教員に向かってバイトのしんどさの話をすることはあまりないので、伝わっていない人が多いのではないでしょうか。実際に学生に聞いてみると「自分は大丈夫だけど、友達が追い込まれているのがかわいそうだから署名した」という学生も多くいました。だからこの運動は広がったのだと思います。

“時間があること”が運動につながる

見えるようになったことと、今回の活動が広まった要因としてSNSとか身近に発信できるツールがあったから広がったのではないかと思います。同じ大学生で困っている人が「見える化」したのだと思います。そのあたりの仲間がいるんだということが会えない環境で広まったことについてどう思われますか。

いい質問ですね。SNSが影響したというのはそうだと思います。SNSがなければ、こうはならなかったと思います。学生からの相談はTwitterでも集めています。実際にメッセージを送ってくれる学生もいます。常に学生の状況把握をアップデートしていないと、ずれてしまいます。また、もう1つの大事な視点は、バイトがなくなったということです。なくなったということは収入がなくなったので、確かに経済的に厳しい状況の学生が増えました。しかし、一方でバイトがなくなって学生に活動する時間ができたのだと思います。なぜ今、学生が運動を起こせないかというと、学生が集まる時間がないからです。SNSというツールに加えて、学生に時間ができたということが、運動が広がった大きな要因の1つだと思います。外出してないから自宅にいる、バイトにも行ってない、オンライン教育で通学時間もなくなっています。

時間はいま有り余っていますよね。

学生に時間が生まれたこととSNSがつながって、このようになったのだと思います。こんなに困っているのにこれまで運動にならなかったのは、学生に時間がないからです。生協の活動も同じです。学生は集まれないですよね。授業もあり、あれだけバイトもあると集まれないと思います。そうなるとお互い何に困っているのかがわからないですし、共通した問題意識にならないのです。お互いに「何か困っている」ということがわかるといいですが、バラバラだとそれも無理です。大学が終わったら、みんなバイトに行ってしまうからです。大学生が相談する場所と時間がない。だから活動は広がらない。今回はバイトがなくなって時間ができたことが、やはり重要だと思います。

盲点でした。

この間、学生が問題意識をもっていなかったというわけではないと思います。ほんとに時間もなくて、お金もなくて、これまで分断されていたものが新型コロナウイルス感染症で結びついてこう広がったってことですか?

困っていることをお互いに共有する時間がない。話し合う時間がない。最近、韓国でソウルの市長が学費を半額にしたら、その後すぐに学生の自主的な活動が増えたと聞きました。学生に時間ができたからです。学費が下がり、奨学金が給付型になったら、学生の活動はもっと増えると思います。今回は新型コロナウイルス感染症で強制的に時間が生まれたから、こういう動きになったと思います。これはもとに戻さないで、なんとかして「考える時間や話し合う時間が奪われている」ことを問い直した方がいいです。「考える時間や話し合う時間が奪われている」現状が、そもそも間違っているのだと訴えることです。時間に余裕があることが大学生の特権ですからね。

昔、大学生は人生の夏休みって言われていましたもんね。

いまは全然違いますね。いまだにかつての大学時代を過ごした方のなかに、大学生は暇だと思っている方がいます。「最近の大学生は余り声を上げない」と学生を批判するのは間違っていて、学生には声を上げる余裕がないのです。そこまで追い込まれていると考えた方がよい。声を上げないのは、声を上げられないくらい学生が厳しい状況に追い込まれていると認識した方がよいと思います。

顕在化した日本の「学生支援」の問題点

新型コロナウイルス感染症で学生の実態が「見える化した」というお話もありましたが、学生支援の問題も顕在化したと思います。そこについてお聞かせください。

学生支援はいろいろなレベルがあります。4月の前半に文部科学省の記者クラブで学費の延納・分納・減額を求める記者会見をしましたが、それでは足りないという話になりました。学費の減免が進めばよいですが、大学は学費で成り立っているので、政府の支援増抜きに学費が減らされてしまえば、大学自身が倒れてしまいます。だから学生が学籍を失うことだけは避けなければと思い、学費の延納・分納・減額を主張しました。政府からの支援がないと学費の減免は極めて困難だということは、重々認識していました。記者会見では延納・分納・減額と、減額は3番目に言っていました。それは延納・分納は可能かもしれないが、減額は極めて難しいという判断からです。そのあとの大学側の動きとして、オンライン教育が始まりました。オンライン教育をするためには、学生の情報環境が大事です。PCを持っていない学生、Wi-Fi環境が十分でない学生がいます。そこで「オンライン授業のために支援が必要」と訴えました。オンライン教育への支援もかなり進みました。大学が3万円、5万円といった現金の給付、PC、ルーターの貸し出しなどです。学生支援については、立命館大学や早稲田大学のように財政力が豊かな大学なら十分に出せるが、小規模の大学の場合には、同様の支援をすることが難しいという問題があります。大学間の格差があるなかで、学生たちの活動がひろがっていったのが1つです。もう1つは今年の4月から無償化とは名ばかりの無償化法がスタートしています。大学等への修学支援法案です。この法律はまやかしで、無償化といいながら無償化になる人はほとんどいません。今回の「コロナ災害」は、修学支援法の限界を明らかにしました。支援対象を住民税非課税世帯とそれに準ずる世帯に限定していますから、授業料減免になるのは全体の1割前後です。学費の減免の年収基準が昨年までより下がっていますから、昨年まで減免されていた人が減免にならなかったり、減免が減ったりしています。無償化と名乗っている法律で減免される人が減るのですから、ひどい話です。政府は「コロナ災害」による家計急変者を対象に申し込みを呼びかけていますが、「住民税非課税世帯・それに準ずる世帯」という基準は変わってないから、その基準まで年収が下がらないと対象になりません。そういう意味で政府が導入した修学支援法は極めて不十分です。大学の支援も大学の財政規模によって変わりますし、政府が導入した法律も、対象の基準が低く抑えられていますから、ほとんどの学生が対象外ということになっているという問題がはっきり見えてきました。

そもそも大学に問題があるというより、政府が学生支援にお金をかけていないということが見えたということだと思います。

これも学生のリアリティに寄り添って考えた方が良いでしょう。日本の学費が高いのは、政府による高等教育への財政支出が少ないからだという事実を理解していない学生が多数派だったと思います。学費が高いことは大きな問題ですが、現状ではそれがなければ大学は運営ができません。その構造が理解されてないからこうなっていると思います。学費の運動は当初、「普段通りの授業が受けられないのに、なぜ学費が同じなのか」という要求でした。それは「消費者感覚」に基づいていて、普段通り授業が受けられないとか、大学の施設が使えないことへの不満から出発していました。その点について最初は心配しました。高学費は政府の教育予算の少なさに原因があるのであって、消費者感覚では解決しないからです。運動の経過を見ていると、大学院生が加わることで、消費者感覚に基づく運動から変化が起こり、そもそも学費が高いのは政府の教育予算の少なさであるというところに、目が向けられるようになりました。そこから「学生に支援を」というスローガンに、「大学に予算を」というスローガンが加わりました。大学の学費がなぜ高いのかという原因が、多くの学生に見えるようになったことが今回の動きによって得られた重要な成果だと思います。

若者の選挙の投票率にも関係しそうだと思います。

日本の大学生は、自分たちの投票が学費と関わっているとは思っていませんよね。たとえばドイツでは、学費は選挙の重要な争点です。学生は学費ゼロを主張する政党に投票します。多くのヨーロッパ諸国で「投票でどこに入れるのかが大学の学費に直結する」と認識されています。学費は政治情勢によって変わる、投票行動で学費が変わるとわかっているのです。日本も早くそういうかたちになるべきだと思います。今回は野党が大学生全体に支援を広げる普遍主義に基づく法案を提出しました。学費についての与野党の考え方の違いがはっきりと見えたのはよかったと思います。