Essay 萩原朔太郎
『猫町』について

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山口マオ(イラストレーター)
 

『猫町』について

 
山口 マオProfile
萩原朔太郎=作・山口マオ=画
『猫町』
※『猫町』は、表紙をリニューアルして近日再版決定!
 詩人・萩原朔太郎の詩集『月に吠える』や『青猫』を読んだことのある方は多いかもしれないが、萩原朔太郎の書いた小説『猫町』を読んだことがある方は少ないのではないだろうか? ボクと『猫町』との出逢いは、1986年頃、まだ、イラストレーターとしてデビューする前だったと思う。北宋社という、詩を専門とする出版社から1979年に発行された『「猫町」の絵本』という本を手にしたことがきっかけだった。
 萩原朔太郎による幻想譚『猫町』と題された、その本は、ボクの大好きな絵本作家・片山健さんの、まだ絵本作家としてデビューする前の絵が表紙に描かれていた。中身にはまず、全20ページにも満たない謎の小説『猫町』全文が掲載され、さらに、赤瀬川源平、江戸川乱歩、種村季弘、海野弘ら十余名の作家らによる『猫町』に対する評論やエッセイが並び、その合間合間に鈴木康司(スズキコージ)、水木しげる、花輪和一、鈴木翁二ら十余名の『ガロ』的とも言える個性的で魅力的なアーティストらによる『猫町』へのオマージュ作品で構成された、とても魅力的な『「猫町」の絵本』だった。
 ボクは、実は本を読むのがとても苦手である。小説などは、読むのが遅い上に、3ページも読むと眠くなってしまうという始末。たぶん、文字を音声化あるいは、イメージを頭の中で画像化しながら読まないと内容が頭に入らず、そのため、読むのが著しく遅い上にひどく疲れるという、障害とも言える癖があるのではないかと思う。
 ところが、この『猫町』だけは、苦しむことなく、スラスラと読み終えてしまった。まあ、もともと文章が短かめでもあるのだが、 朔太郎の猫町の妖しげな世界と、まるで舞台をみているかのようなリアリティーのある文章に、ずるずると引き込まれてしまった。
 

↑2018年7月28日〜10月14日まで前橋文学館で開催された『サクタロウをアートする-解釈の快楽-』では作品展示のほかに、メインイラストを担当

 内容については説明するよりは読んでもらった方がよいとは思うが、作者が軽便鉄道に乗って北越地方のKという温泉からUという田舎町に行った時のこと、山の中に現れたなんとも風雅で魅力的な街並みの町を見つけ思わずその駅を降りる。なんと素敵な街だろう、なぜ今迄自分はこの街に気がつかなかったのだろうと見惚れていたその時、ザワザワザワっと激しい胸騒ぎがし何かが起こると覚悟した途端、一瞬にして辺りが一変し、そこにいた風雅な人々は、どこを見ても、猫、猫、猫、猫ばかりの猫町に一変するという話。その後、正気に還った作者は、その魅惑的な見たこともない街並みが、自分の知る何度も訪れていたつまらない景色の町であることに気付く。その錯覚は、その町の駅を降りる時に反対方向から降り立ったが為に、ありきたりなつまらない街並みが、なんとも風雅で魅惑的な街並みに見えてしまったのだと気付く。方向感覚の錯誤による錯覚!? 文章の冒頭、作者は、モルヒネやコカインを常用し、健康を害しており、健康のためにも散歩や温泉旅行をしていたことを記し、又、自身が酷い方向音痴であったことにも触れているが、それらの奇妙な出来事を、たんなる薬物中毒と方向感覚の錯誤による幻覚ではなく、あの、美しい風雅な猫町が、この地球上のどこかに、確かにあったに違いないと、締めくくっている。
 この点に関しては、ボクには現実世界に対する幻滅や失望と、理想的な美意識の世界への憧れの混ざりあった思いの現れであったのではないかと感じる。『 「猫町」の絵本』の中では、十余人の文筆家らがそれぞれに猫町の世界を論じ、また、絵描きたちは、それぞれに感じ取った『猫町』世界を魅力的に表現している。
 ボクは、この『「猫町」の絵本』を手にして以来、自分自身の『「猫町」の絵本』をつくりたいという衝動にかられた。それから、5年程経ったある時、イラストレーターとしてデビューして数年経った頃だったが、「ポイントライン」というデザイン事務所と運命的な出会いをし、仕事や仕事以外でも付き合いをさせて頂き、萩原朔太郎の『猫町』に自分の絵を描いて構成し出してみたいのだと軽い気持ちで話したことがあった。当時のポイントラインのメンバーや片倉社長が、面白いからやろう!とその気になってくださり、凝りに凝って、萩原朔太郎の『猫町』の原文を完全に復元した。旧仮名遣いにもこだわり、現代の活字には無かった文字も、「モリサワ」という写植活字の会社に頼んで作字してもらい(当時はフォントではなく活字……写植であった)、完璧な文章を起こし、オリジナルの絵を12点挟み込み、表紙も型押しによる趣向を凝らした。当時の著作権継承者であった娘さんの萩原葉子さんに許可も頂き、ようやく、萩原朔太郎著・山口マオ絵による、私家本『猫町』が完成した。1992年10月のことだった。
 そして、それから26年も経った2018年、萩原朔太郎の孫にあたる萩原朔美さんが館長を務める前橋文学館で、『サクタロウをアートする』と題した企画展に、私家本『猫町』の原画や、萩原朔太郎をイメージした作品約30点を展示させて頂いた。
 丁度、私家本『猫町』の在庫が底をつき、既に10冊くらいしかなく、残念な思いをしたが、不思議なもので、青梅の赤塚不二夫会館館長の横川さんから面白い話が舞い込んだ。「青梅を猫町にしたい」と。
 青梅は、昔の宿場町であるが、今では昔の旅館や旅籠は殆ど無い。だが、まだまだ昭和の建物も多く、どこか風雅な趣のある町だ。20年程前から、バンカンさんによる、手描き映画看板を街中に飾り、昭和レトロの町として頑張ってきた。一昨年から、山口マオによる、マオ猫のパロディ映画看板も12点街中に飾られていた経緯もあり、これから、マオ猫のいる猫町・青梅として演出していきたいと言うのだ。さしあたって、私家本『猫町』を共同企画でリニューアルし再版することとなり、ボクの『猫町』への思いは続いていくこととなった。
 私家本なので、なかなか本屋さんではお目にかかることはないと思うが、目にしたら、ぜひ、手に取って見て頂きたい。ボクの『猫町』への思いが詰まった一冊である。  
 

News!!

山口マオさんが、このたび第45回青枢展にて文部科学大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。
 

 
P r o f i l e

山口 マオ(やまぐち・まお)
1958年千葉県千倉町生まれ。東京造形大学絵画科卒業。イラストレーター、版画家、絵本作家。
1987年『うでずもう』(木版画)がザ・チョイス年度賞入賞と共にイラストレーターとしてデビュー。1991年年鑑日本のイラストレーション新人賞受賞。1992年私家本『猫町』萩原朔太郎著(ポイントライン)出版。1993年NY・ADC賞、TDC賞入賞、ロンドン国際広告賞入賞。ギャラリーハウス・マヤで個展「猫町」開催。1996年拠点を生まれ故郷の南房総・千倉に移す。1997年オリジナルギャラリー&ショップ海猫堂をオープン。2002年『わにわにのおふろ』で、第一回アジア絵本原画ビエンナーレ佳作賞を受賞。大人気のわにわにシリーズほか絵本多数。本誌『izumi』では70号(1997年春号)から表紙イラスト画を担当している。
 

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