Essay 星新一 時を超えて読み継がれる理由

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 最相葉月Profile 

最相葉月おすすめの星新一作品

 

星 新一
『進化した猿たち The Best』
新潮文庫/本体550円+税

星はアメリカの一コマ漫画のコレクターだった。本書は「結婚」「宇宙人」「精神分析」などテーマ別に漫画を分類し、あれこれ自由に論じたエッセイ集。批評家としての星のもう一つの顔を知ることができる。漫画の版権をクリアして再刊された。

 「ケッコンは人生の酒場」。ん、聞いたことがあるような、ないような。「大学入試ホケツ大学」。むむ。「ネゴトで話しますから少し待ってください」。うーん、なんだかおもしろそう。
 星新一の別荘で遺品を整理したときに発見した大量の構想メモの、ほんの一部だ。ビニール袋に無造作に放り込んであるので最初は書き損じのメモかと思ったが、よく見るとわずか数センチ四方の小さな紙に一つひとつ丁寧に鉛筆で何かが書かれている。これって作品の構想メモじゃないかと思った私は、段ボール箱に詰め込んで出版社の会議室に運んだ。以後、週末ごとに会議室にこもり、ほかの遺品も含めて百箱近い段ボールを開けて整理し、データベースを作成した。星の評伝を執筆するため遺族の許可を得て始めた作業だが、結局、『星新一 一〇〇一話をつくった人』を刊行した翌年まで、足掛け七年に及んだ。
 星の作品は没後二十二年を経た今なお、書店の文庫コーナーにずらりと並んでいる。朗読会や舞台化の依頼は引きも切らない。ジュニアから人間以外の応募まで受け付ける「星新一賞」は今年で七回目。定年間近になった星の最後の担当編集者によれば、いまだに子どもたちからファンレターが届くという。星さん、やりましたね、あなたの願ったとおりになっていますよ。天国につながる電話があれば、そう伝えたい。時代を超えても読まれ続けることが星の願いであり、そのために最後の最後まで改訂作業を続けたのだから。
 星新一のショートショートにはルールがあった。分量は原稿用紙十数枚から二十枚程度で、固有名詞は使わない、性や残虐な殺人、時代が変われば変わる数値や風俗は描かないなどの制約だ。作品を読めば気がつくが、いつどこの誰の話なのかわからない無色透明で不思議な読後感がある作品ばかり。それでも古びる表現が出てくるのはやむを得ない。「ダイヤルを回す」を「電話をかける」に、「〇〇万円」を「大金」に直すなど、時代の変化に耐えられないと思われる表現に手を入れ続けた。存命と思われたのはその成果でもある。
 星が生前唯一の弟子と認めた江坂遊さんは、ショートショートを書くヒントを星に直接教わった。言葉を要素に分解して共鳴するものを結びつける「要素分解共鳴結合」といって、突拍子もないアイデア同士を組み合わせて化学反応を起こす技だ。冒頭に紹介したちょっと変わったワードもそんな試行錯誤の過程である。書棚から無作為に本を何冊か取り出して積み上げ、背表紙を眺めてタイトルを分解し、脈絡なく組み合わせて検討することもあったようだ。
 書名を思い出してほしい。『ようこそ地球さん』『気まぐれロボット』『ひとにぎりの未来』『妖精配給会社』……等々、いずれも異質な言葉の組み合わせでできているのがおわかりだろうか。もちろん作品として完成させるにはもっと複雑な作業が必要なので、詳細を知りたい方は、星の『できそこない博物館』や江坂さんの『小さな物語のつくり方』を参照してほしい。
 星は生涯、一〇〇一話のショートショートを書いたが、実際にはその倍以上書いて書いて書きまくり、捨てて捨てて、最終的に編集者に渡したのが一〇〇一編だったはずだと江坂さんはいう。原稿料は原則として枚数計算だから、なんて割に合わない仕事か。原稿料については無理解な出版社ともめることもあったようだ。
 ネット社会を予言したかのような長編『声の網』など、星作品に未来の予見性を指摘する声は多く、それもまた楽しみ方の一つではあるが、言葉の組み合わせの妙や発想の転換を分析するのもよし、年代順に読み比べるのもよし、もっと素直に物語を味わうのもよし。私はこれから星新一を読み始める人がうらやましくてならない。だって、まだ一〇〇一編もあるのだから。
 最後に私ごとになるが、先日、実家である会社の営業マンと打ち合せをしていたところ、職業を聞かれたのでたまたま書棚にあった『星新一 一〇〇一話をつくった人』を見せたところ、研修で同行していた新入社員の男性が、「わ、星新一だ」と声を上げた。「ご存知ですか」「はい。自分で買って読み通した唯一の本が星新一です」。ちょっと待て、これまで読み通せたのが星新一だけ? と普通は思うだろうが、このときの私は星新一の読者というだけで嬉しくなり、思わず「どうぞ」と拙著をプレゼントしてしまった。五百ページ以上、厚さ三センチもあるというのに。
 「この夏に読んで感想をお送りします」とお礼メールが届いたが、うーむ、期待しないでお待ちしております。

 

『星新一 一〇〇一話をつくった人』


  • 最相葉月
    『星新一 一〇〇一話をつくった人』(上)
    新潮文庫/本体670円+税

  • 最相葉月
    『星新一 一〇〇一話をつくった人』(下)
    新潮文庫/本体710円+税
P r o f i l e

最相 葉月(さいしょう・はづき)
1963年生まれ。関西学院大法卒。
主著に『絶対音感』(新潮文庫)<小学館ノンフィクション大賞>、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮文庫)<大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞など>、『青いバラ』(岩波現代文庫)、『セラピスト』(新潮文庫)。近刊に『胎児のはなし』(増崎英明と共著・ミシマ社)。

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