著者からのメッセージ 今こそ、本を読もう(5)
早見 和真

だから、今こそ小説を読もう

早見 和真Profile

著書紹介


『イノセント・デイズ』
新潮文庫/本体750円+税
「整形シンデレラ」とよばれた確定死刑囚、田中幸乃。その女が犯した最大の罪は、何だ? 殺されたのは三人だった。幸乃の元恋人だった男の妻とまだ一歳の双子の姉妹。なぜあの夜、火は放たれたのか? たったひとり、最後まで味方であり続けようとする男。なぜ彼は、幸乃を信じることができるのか? すべてを知らされたときあなたは、真実を受け入れることができるだろうか? 衝撃指数極大値。圧倒的長編。
 まだ高校生だった頃、僕は大人というものが嫌いだった。
 上から目線で何か言ってくる人も、逆に媚びるように笑っている人も、「最近の若いヤツは……」と勝手に線引きしてくる人も、もちろん仏頂面で無視してくる人も。みんな一方的すぎて好きになれなかった。
 それが、大学生になった頃からだ。少しずつ心を許せる大人と出会うようになっていった。
 規則に縛られた高校時代から、生きる世界が一気に広がったことが一番の理由だったと思う。性別も、年齢も、職業も、おそらくはイデオロギーもまちまちだった彼らに共通点があったとすれば、程度の差こそあれ、みな小説が好きだったということだ。
 僕自身も大学入学を機に少しだけ本を読むようになっていたので、最初は共通の話題があるからこそのことと思っていた。
 本好きという切り口があるからこそ、きっと浅薄で、赤面ものの僕の主張を楽しそうに聞いてくれるのだと思っていたのだが、しばらくしてそうじゃないと気がついた。
 彼らには自然と相手に寄り添える力があった。自分にはわからないと放棄しないし、自分とは違うと区別しない。まず目の前の人間について想像しようと努めてくれたし、目線がいつも対等だった。
 それは、物語の与える力そのものだ。小説の特性の一つは“他人”の人生を深く追体験できること。若い頃から自分以外の人間を想像し続けてきた人たちが、僕を一方的に「最近の若いヤツは」と断じるはずがない。
 自分のことしか想像せず、自分こそが正義という顔をしている大多数の大人たちの中で、彼らはそれだけでカッコ良く、僕の目には魅力的に映った。
 それは、ひとえに山のような物語に触れてきたからだ──。
 大学生だったあるとき、僕はふとそんなことに気がついた。

 もちろん、それが正解かなんて定かではなかったけれど、わりといい線をついていると信じた僕は、それまで以上に小説をよく読むようになった。
 結局「こんな大人になりたい」と思わせてくれる人たちが身の回りにいることが大きかったのだ。彼らのようにカッコいい大人になりたくて、ならば彼ら以上に小説を読まなければという強迫的な気持ちさえあったと思う。
 読書習慣のきっかけを紐解けば、そんな些細なことだった。「タメになるから」とか「救いになるから」といった高尚な理由とはかけ離れている。ただ、彼らに憧れた。
 だから僕には「今こそ本を読もう」というお題にうまく答えられる自信がないし、もっと言えば「今こそ本を読もう」とさえ思っていない。
 仮にいま自分が大学生で、仮に時間を持てあまし、仮に読書から遠いところにいたとしても、あのときのイケてる大人たちが「本読む意義」を語ろうとしたとは思えない。
 自分はただ楽しいから読んでいる。
 読書を苦痛と思うなら、ムリして読まなくていいんじゃない?
 きっとそんなことを言っただろうし、いまの僕も同じように感じてしまう。でも……。
 もし、これを読んでくれている大学生の中に、いまこそ本を、それも小説を読んでみたいと思っている人がいるのだとしたら、一つだけ伝えられることがある。
 あれから二十年という年月が流れて、立派なおじさんの仲間入りをしたいま、僕は胸を張って断言できる。物語に触れてきた大人はやっぱり魅力的でした、と。
 僕自身がこの仕事に就いたこととは関係なく、いかなる業界に生きる人にも共通する。小説好きにはどんなテーマでも会話できる人が多いのだ。そもそも自分の知らないことに関心のある人たちばかりだ。どんな話題でも楽しそうに言葉を交わしている。
 一方、平気な顔をして「小説なんて……」と言えてしまう人は、大抵が自分の生きている世界のことばかり話している。とても視野が狭く、排他的だ。高校時代の自分が嫌いだった大人そのものだ。
 と、あたかも小説好きが万能のように記しているが、もちろんそんなことはない。本を読まない人をなぜか見下すような人もいるし、本で得た知識を恥ずかしげもなく自分の考えのように語っている人もいる。
 それでも尚、物語には人間を柔らかくする力があると僕は信じている。その上で自作から最初の一冊を薦めさせてもらえるなら『イノセント・デイズ』(新潮文庫)を読んでほしい。
 自分が正義と思ったら終わり。そう思い続けてきた人間の書いた「正義」についての物語です。
 将来の魅力ある大人の何かしらのきっかけになれるなら、こんなにうれしいことはありません。
 
P r o f i l e

早見 和真(はやみ・かずまさ)

1977年神奈川県生まれ。小説家。2008年 『ひゃくはち』(集英社)で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』(新潮社)で第68回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。『ひゃくはち』『イノセント・デイズ』ほか多くの作品が映像化されている。著書に『小説王』(小学館文庫)、『店長がバカすぎて』(角川春樹事務所)、『神様たちのいた街で』(幻冬舎)、『かなしきデブ猫ちゃん』(絵本作家かのうかりん氏との共著 愛媛新聞社)、『ザ・ロイヤルファミリー』(新潮社)、他多数。


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