Essay 「念のため」の怖さ

特集「コロナと向き合う」記事一覧


 ある日、自分の住む集合マンションのポストを覗くと、「お住まいの方の中に、ベランダで喫煙をされていらっしゃる方がいます。周辺の住民から、風の流れ次第では煙が入ってくることがあり、迷惑しているとの連絡がありました。一部の方だとは思いますが、ベランダでの喫煙はお控えいただきますよう、お願いいたします」と、管理会社からの通達が入っていた。こちらは夫婦共々喫煙者ではないし、被害を訴えている側でもないのだが、そこまで大きいわけではないマンションの中でそんなトラブルが起きているのかと思うと、すれ違う住民を見る目がほんの少しだけ変わってしまう。たとえば、303号室が302号室から流れてくる煙に悩んでいるならば、「そんなの、当事者間でやってくれよ」と、ちょっとだけ思ってしまう。しかし、もはや、そういった近所づきあいなど、滅多に存在していない。303号室の住民が302号室に出向くのではなく、管理会社に連絡するのは賢明である。
 この手の案件は「これまでもずっと、あちこちでしょっちゅう起きてきたこと」ではある。自分たちのマンションで解決したとしても、みなさんが住んでいる場所で、同じようなことが発生するかしれない事案だ。だが、もしここにテレビカメラがやってきて、302室の住民を捕まえ、「あの、〇〇テレビの者ですが、近所の方からタバコの煙についてクレームが出ていること、ご存知ですよね?」と詰め寄り、「ちょっと(撮影を)やめてください!!」と声を張り上げるシーンを流したら、ネット上では、このマンションがどこにあるのかの探索が始まるだろう。カメラを向けたことによって、マンションの日常は激変してしまうに違いない。
 このコロナ禍では、いくつものデマが流布されたが、全国的に広がってしまった最たるデマが、トイレットペーパーの一件だ。新型コロナ感染拡大に伴い、トイレットペーパーが品不足になる、との投稿をきっかけに、全国の店舗からトイレットペーパーが消えた。マスクと原料が同じ、といった明らかな誤情報ばかりだったが、多くの人がその内容を信じ込んだのではなく、「なくなるかもしれないから買っておこう」という心理でトイレットペーパーを買い占めた。ワイドショーなどが、売り切れてしまったドラッグストアの棚を繰り返し流し、あちこちのドラッグストアを駆け巡る人が出た。パニックになっているわけではない。「念のため買っておこう」という意識の集積が長蛇の列となり、ガラガラの棚を生んだ。
「自粛警察」という、とても嫌な言葉も生まれた。自粛を辞書的な意味で書き直してみれば、「どうしてオマエは、自分から進んで、行いや態度を改めてつつしまないのだ」となるのだから、この「警察」の浅はかさがわかる。これもまた、店先に貼られた書き殴りのビラをカメラが執拗に映し出すことで、「こんなビラまで出ているのに、それでも開け続けるなんて、よっぽどルールを守る気のない店なんだな」と、厳しい目線をさらに厳しくさせた。
 クラスターが発生した大学では、その名前が連呼されることによって、その大学に通っている大学生や教職員が、感染リスクの高い存在として扱われた。教育実習を断られるなどの事例も発生した。皆、その大学の人に接したらコロナになると思っているわけではない。いや、でも、念のため、と思っている。
 この、「いや、でも、念のため」が問題なのである。この考え方を適切に取り扱うことって、とても難しい。毎日のように不安にさせる情報が入ってくる中、ひとまずその情報を受け止めて(受け止めなければいいじゃん、という人もいるが、なかなか乱暴な意見だ)、どう処理すればいいのかを悩む。どうしても、周囲と比較してしまう。で、周囲の動きに合わせてしまう。結局、「いや、でも、念のため」に行き着いてしまう。「トイレットペーパーを買い、営業し続ける店を嫌悪し、特定の大学生を煙たがる」人が強い意志を持たずにできあがる。むしろ、意志なんてないような人が、そういう態度に行き着いてしまう。
 日頃、テレビ番組についての考察を書くことが多いのだが、「テレビなんて、もう影響力はない」などと言われることも多い。だが、たとえば、Twitterのトレンドランキングには、今、放送されているテレビ番組に依拠する言葉が数多く並んでいる。むろん、SNSに参加していない人もいくらでもいる。このコロナ禍で、私たちは、テレビが作る「いや、でも、念のため」に翻弄されたのではないか。「これからのメディアはどうあるべきか」という議論はあちこちで増えているが、テレビ、とりわけワイドショー的な番組の「いつもの感じ」って精査されることが少ない。カメラを向けることによって発生する「念のため」が、いつまでも放置されている。

 

★武田さんのおすすめ★

ギュスターヴ・ル・ボン〈桜井成夫=訳〉
『群衆心理』
講談社学術文庫/本体1,020円+税

「群衆は、一瞬のうちに残忍極まる凶暴さから、全く申し分ない英雄的行為や寛大さに走る」……「〇〇を一斉に叩きのめそうぜ」という威勢と、「みんな、〇〇に感動しているよ」という同調は、群衆が発生させるという点で共通しているのかもしれない。

武田砂鉄
『わかりやすさの罪』
朝日新聞出版/本体1,600円+税

物事をわかりやすく説明することがなにより大切である、という社会が加速している。だが、それによって、じっくり考えること、答えを保留することなどが蔑ろにされているのではないか。その姿勢・空気感はこのコロナ禍で強まった。

 

P r o f i l e

武田 砂鉄(たけだ・さてつ)
 1982年生まれ。ライター。2015年、『紋切型社会』(朝日出版社、のちに新潮文庫)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著書に『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)がある。

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