いずみ読者スタッフの
自粛期間中にはじめたコト

特集「コロナと向き合う」記事一覧


今年は4月の緊急事態宣言で自由に動き回れない期間がありました。
そんな中で5名の大学生が始めたコトをご紹介します。
まだまだ続く緊張の日々、身近なところで何かあなたも初めてみませんか。
 

 

密集の世が散在のヨガ

品田 遥可(金沢大学3年生)
 

愛用のヨガマット

 ビフォーコロナ時代、友人に誘われヨガを始めた。週一回程度のゆるーく集まるものだったが、じわりじわりと体が温まり心もポカポカしてくるのが気持ちよかった。ゆったりとした時間が、忙しい日々の隙間を埋めていた。しかし、感染拡大を受けて、さすがに集まって続けられないと解散した。
 その後、ヨガをやめて運動不足になった、という話が誰からともなく上がり、ズームでオンラインヨガを始めることになった。恥ずかしかったので自分の顔、部屋が映らないよう、カメラを隠して参加した。
 こちらの様子は映らないにせよ、昔のように、友人が声をかけたり、いつものポーズでリラックスしたりして、楽しくヨガをすることができた。ヨガは筋トレ的な要素もあり、背中が引き締まっていることが実感できて嬉しい。私は亡骸のポーズが(名前も!)好きだ。もう一つ、ハッピーベイベーはポーズが恥ずかしいけど気に入っている。自宅で気兼ねなく参加したヨガは楽しかったが、人目がないのをいいことに適当に済ませる自分もいて、みんなと一緒に苦しみながら(?)負けじと頑張ろう、と意欲を保ち続けることは難しいなと感じた。甘えに一人で勝つことってみんなといる時の何倍もパワーがいる。これは日々のオンライン授業でも感じていることで、お菓子を食べたり変顔をしたり、オンデマンド授業の時間を止めて寝たり、対面授業では絶対できない。見られていないとだらけてしまう。きっと誰もがそうだと思う。

 とはいえ、今までのような楽しみを続けられることはうれしい。続けようと努力することも気持ちの良いことだと感じた。これからも大きな力に負けず密かな楽しみを増やしていきたい。
 
 

 

救世主 メシア はフラフープ

北田 あみ(津田塾大学3年生)
 

組み立て式のフラフープ、
ピンク色が可愛くてお気に入り

 コロナの影響で、オンライン授業が始まった。わたしは出不精でコミュ障なので、外出自粛が辛いとは思わなかったのだが、ただ一つ、大きな問題が……。その、つまり、太ったのである。
 大学に通えていた頃は一日に計四キロほど歩いていたし、アルバイトもしていたため、自然と運動習慣がついていた。しかし今となっては、朝、昼、晩しっかりと食べておきながら、物凄く悪い姿勢で授業を受け、歩くのはトイレまでという人間の終わりのような生活を送っている。参考までに昨日の歩数と歩行距離をお知らせすると、266歩で150メートルである。多分桐生選手ならこれくらい十秒台で走れる。こんな生活を送っていて太らない訳がない。
 そこでダイエットをしようと一念発起して5月頃から始めたのがフラフープだ。テレビをボーっと見ていた時に、芸能人がフラフープをしていて、「は! これだ!」となった。というのも、元々運動が苦手な上に色白がアイデンティティのわたしにとって外で走るなんていうのはもっての外で、室内で出来てそれ程疲れない、そして一番気になっていた腹の肉を減らすことができるフラフープはわたしにとって救世主だったのだ。流されやすいわたしはすぐに組み立て式のフラフープをネットでポチっとした。
 フラフープをするのは実に小学校以来だった。小学校の運動会ではフラフープを使った出し物をしたなあ、などと思いながら久しぶりにフラフープをしてみた。小学生当時は二、三個同時にできていたのに、一つでもきつかった。それでも体は感覚を覚えていて、慣れれば一時間程のドラマを見ながら続けてできるようになった。フラフープの遠心力を感じるのはかなり癖になったし、少し痩せることもできた。しかし八月の今となっては期末レポートやテストに追われ、組み立て式フラフープはずっと箱に仕舞われたままだ。ついでに痩せた分の肉も里帰りした。

 さて、ダイエットは期末テストが終わってから……。
 
 

 

近隣ウォーカー

沼崎 麻子(北海道大学大学院)
 

羽化して飛び立つ準備中の
エゾシロチョウにも遭遇。

 3月下旬からウォーキングを再開した。これまでも冬と花粉、猛暑の時期を避けて歩いていたが、登校自粛で運動量が減ったことに危機感を覚えたからである。家の近所を速足で歩幅大きくひたすら直進し、片道時間を設定したキッチンタイマーがポケットで鳴ったら折り返すのが私流だ。
 飽きないよう、歩く道は毎日変えた。小学校の通学路だった道も久しぶりに歩いた。過疎が進む夕方の住宅街は、人影もなくただ灰色だった。かつてのスーパーは廃墟となり、内側のドアには何かのポスターがぶら下がっていた。その近くの美容室と理髪店、さらに向かいの別の理髪店はよく残っていたなと思った。子どもの頃の記憶のままの家を見ては妙にほっとした。
 歩いている時だけは、何も考えなくてよかった。ウイルスへの恐怖も、ネット上の罵り合いも、対面調査ができず計画見直しを迫られた研究も、見えない将来も、許容範囲を超えた孤独も、疲れ果てて壊れていく心も。道端や庭に咲く花に心を寄せ、遊ぶ子ども達の声を感じるだけでよかった。少しずつ歩行時間を延ばしたので、同じ道を通ると前より遠くに行けたとわかるのが励みだった。一日20分ほどの空白に、私は救われていた。
 ある日、高台の公園から、通学中に中を通る駅ビルや中心地のビル街が見えるのに気づいた。別の日には、遠くにこれまで見たこともない山の稜線を目にした。この町に3歳から住みウォーキングも長年やってきたのに、なぜ気づかなかったのだろう。心の余裕がなかったからか、交通量が減って空気が澄んだからか。不謹慎ながらも、自粛生活も悪くないと思った。
 二か月ぶりに登校した日に見上げた駅ビルは、外側は何も変わらないままだった。山は日中は見えづらくなり、夕暮れ時の方がよく見えるようになった。いつかこの自粛の時期を振り返る時が来たら、心がゆっくり壊れていった感覚よりも、ビル街と山並みを見つけた瞬間の驚きが鮮やかに残っていてほしい。そう願いながら、私は今日もタイマーをポケットに突っこんで歩き出す。
 

発見した山の姿。歩きなれた近所だからこそ、見つけた喜びは大きい。

 

 

食べない人参を育てる

木村 真央(お茶の水女子大学大学院)
 

ピンチな人参ちゃん
 元気な人参さま
 

 水耕栽培を始めました。カレーを作っていたら、人参(にんじん)のヘタを捨てることに心が急に痛んで、気がついたら小皿に水を張って人参のヘタを置いていました。グーグル先生にも頼らず、雰囲気で始めてしまいました。本当に育つか不安でしたが、翌日には芽を出し、一週間後には葉っぱがワサワサ生えてました。その姿がとっても可愛く思えたので、心のなかで密かに「人参ちゃん」と呼ぶことにしました。私は過去にサボテンすら枯らしかけたので、毎日ドキドキしながら水をかえ、ヘタのオレンジの部分のヌメっとしたところを手でゴシゴシ洗って「人参ちゃん」を精一杯可愛がりました。
 ところが7センチぐらいに育ってきたある日、ヘタが風に飛ばされて無残にも床に転がり落ちていました。原因は私がうっかり水やりを1日忘れ、カピカピになった「人参ちゃん」が窓からの強風に耐えられず、吹き飛ばされたのでした。乾物になり果てた「人参ちゃん」は、いくら水を与えてもぷかぷか浮くだけで、「あぁ終わったかもしれない……」と水やりを忘れた自分を責め続けました。
 しかし、「やはりこのままでは終われない!」と立ち上がり、「人参ちゃん(乾物)」のヘタの周りをハサミでぐるりと切り取り、無理矢理に水を吸わせる「緊急手術」をしてみました。すると、術後良好で半日ほどですっかり元気になっていました。この小さなからだに宿る生命力の強さには脱帽でした。その後も度々水やりを忘れ、やらかすこともありましたが、その度に「人参ちゃん」もたくましくなり、その凛々しさから今では「人参さま」と呼んでいます(ちなみに一ヶ月で20センチほど伸びました)。「いつ食べるの?」と家族から聞かれることもありますが、あの床に落ちていた瞬間を思い出すと衛生的に心配で食べることができません。将来は木みたいに「人参さま」が大きくなることを願って、これからも水やりを続けたいと思います。
 
 
 
 

 

窓際に一輪の花を飾る

末永 光(岡山大学4回生)
 

「あのね、目の前に緑があると生活が華やぐんだよ。だからキミも花くらい買いな。アルコールばっかり飲んでいないで」
 そんなふうに言っていた友達がいたことを思い出す。

 ずっと続くかのような気怠さに包まれた生活は、突然の「キンキュウジタイセンゲン」という耳慣れない言葉で一変した。カフェにも温泉にもいけなくなった。もちろん居酒屋になんて行けない。
 室内にとじこめられた鬱憤を晴らすために散歩した先で、いままでは視界に入らなかった店に出会う。歯医者さんの隣の路地、ちょっと見えにくい場所にある。
 小さな花屋だ。
 中に入ると、マスクをつけている店主に低い声で「いらっしゃい」と声をかけられる。
 路地裏にある質素な店。
 10年以上ぶりに入った花屋はワクワクした。知らない名前の花ばかりだった。大きな花は六畳の部屋には置けない。1本100円の小さなスイートピーを買う。鈴みたいにぶらさがった青色と桃色の花。透明な春の空気をとじ込めたようないでたち。
 そのあたりの空瓶に水をトクトクと注いで、ちいさな二本のスイートピーを差す。窓辺におくと、たしかに、目の前が華やいで見えた。
 


 

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。ほんとうに大切なことは目に見えないんだよ」
 散々引用し尽くされたサン=テグジュペリのことばも、人々が部屋にいることを強いられた3ヶ月間をきっかけに、たしかに重要なことだったのだと気づく。

 朝起きて、お気にいりの本を読むこと。
大好きな友人と喋りたいという気持ち。
一輪の花で、部屋の空気が澄むということ。
あたりまえの日常は、
実はあたりまえじゃなかったこと。
 目に見えない病気に、目に見えなかった大切なことを再確認させられるなんて、皮肉で悲しいと思うけれど。
 もとの日常が戻ってくるかどうか、それはまだわからない。
 でも目の前に揺れるスイートピーのおかげで、すこしだけ息をするのが楽になった。
 
 


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