上記のセリフは1826年にカメラが登場して、「画家の仕事がなくなる」と愕然としたドラローシュによるセリフだ。カメラ登場以前の絵画は、裕福な市民の自画像を描いたり、風景などを題材とした絵を求められたりした。この現象について末永は著書で「素晴らしい絵とは、目に映る通りに描かれた絵であり、それこそがアートの正解と考えられていた」と述べる。まるで注文通りの寸法で忠実に椅子を作る家具職人のように、現実をできるだけ正確に再現しようとしていたのがカメラ登場以前の画家たちだった。
一瞬で現実を写せてしまうカメラが登場したときの画家たちの衝撃は大きいものだった。冒頭で紹介したドラローシュの台詞は、そんな驚きから絞り出された一言だ。
「しかし、だからこそ“写真と違う、カメラで何ができるのか”そんな問題意識から、新しい描き方を挑戦して生まれてきたのが印象派なのだ。」
そこまで『13歳からのアート思考』を読んだ私は、パタンと本を閉じた。「そうだ、印象派を観に行こう」。
そんなこんなで、よく晴れた日曜日の午前中。僕は電車に揺られていた。決意から30分後のことである。
「印象派を観たい」という目的に合致しそうな美術館を調べたところ、印象派を中心に西洋の近・現代の絵画を所蔵している特徴からアーティゾン美術館に決定。東京駅に向かう。
宇多田ヒカルは「One Last Kiss」にて「初めてのルーブルは、なんてことはなかった」と歌い上げたが、私にとってアーティゾンは衝撃だった。
クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》の前で30分間動けなくなった。
印象派という名称は、モネの「印象、日の出」に批評家が「ただの印象を描いただけの稚拙な絵」と批判したことに端を発するという。いわば印象派という言葉は元々悪口だから、適切ではないと東京藝術大学の友人は語っていた。しかし、稚拙なものか。私は絵の前から動けなかった。ふと我に返った時に、足がプルプルしていた。どこの美術館にもなぜそこかしこにソファーがあるのか、初めて理由を知った気がした。絵に見惚れ立ち尽くして、足が疲れた時のためだったのだ(違うかもしれない)。
モネ《睡蓮》を眺めながら感嘆の息を吐く。モネは印象派の走りとなった一人だ。ソファーに座って休んでいた時に、話しかけてきてくれた身なりの良い老婦人が教えてくれたことによると、印象派の絵画の特徴として以下の3点がよく挙げられるそうだ。
それを聞いてなるほど、と思う。目の前の《睡蓮》を教わったポイントに照らし合わせると、「確かに筆遣いがラフだな」とか少し賢くなった気になれる。余談だが老婦人の話を、目をキラキラさせて聞いていたら別れ際にパイン飴をもらった。非常に美味だった。
ところでここまで絵について語ってきた筆者は絵が壊滅的に下手だ。美術の成績は2だった。
“美術2”が美術館なんて行ったところで、とこれまでの人生で自然と美術館から足が遠のいていた。しかし、いざアーティゾン美術館で印象派を眺めて、今までの人生で食わず嫌いをしていたせいで損をしていたと悔しくなった。
「美術は難しそう」など大上段に構えて美術館を遠巻きにすべきでない。寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』と「生」の実感を求めて体験することをアジテーションしたが、私はこう言いたい。「書を読もう、美術館へ行こう」。
●出典・参考文献●
[3] 宇多田ヒカル 「One Last Kiss」(2021),ERJ
クロード・モネ《睡蓮》 1903年 油彩・カンヴァス
石橋財団アーティゾン美術館蔵
東京経済大学3年。昨年の夏休みには自宅から一歩も出ないひきこもり。「趣味が読書」といえば、家にひきこもっていても同級生から奇異な目で見られないのではないか、という浅はかすぎる考えから読書を始めた。
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