Essay 吉田松陰~幕末の破天荒人~

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 吉田松陰と聞いて思い浮かぶのは、松下村塾? 高杉晋作といった幕末志士たち?
 思いつくのは彼周辺の事件や人物で、彼自身については知らないのではないだろうか。私はそんな感じだった、以前紹介したコテンラジオを聞くまで。だけどもその生き様を知り、時代の変遷を招いた強烈な生き方に惹かれた。
 今回は『吉田松陰著作選留魂録・幽囚録・回顧録』(講談社学術文庫)より現代語訳を一部引用しつつ吉田松陰という人に迫ってみたい。

 吉田松陰は1830年、長州萩の城下町付近で下級士族の家に生まれた。わずか11歳で御前講義をし、欧米列強の脅威を知った1850年あたりから日本全国の遊学をはじめたことから、勉学への意欲も相当だったのだとわかる。
 ここまでだと単に優秀な人のように思うがとんでもない。松陰の行動は常に想像の上をいく。

 まず松陰が最初に犯した罪が、1852年の脱藩。この時代の脱藩とは死罪に値する罪である。しかも、少し待てば正式に藩から出られる状態だったのに期日前に藩を出てしまう。この理由が、東北の友人(宮部鼎蔵ら)との旅行の約束を守るため、なのだ。情に厚い人柄が垣間見える……では終わらせられない、信念や約束への狂気にも似た誠実さが窺える。

 そして1853年、黒船来航。
 誰しも恐れをなした黒船。しかし、松陰は一味違う。初来航の翌年1854年、従者とともに小舟で下田に来航した船に近づいて、何と乗り込んだのだ!その目的は米国への密航の申し入れ。船上のアメリカ人らに直談判するものの、無論却下される。引き返すが、当時幕府の許可なく異国と交流するなんてもちろんご法度。最終的に地元萩の野山獄に投獄される。この時に書かれたのが、『幽囚録』と『回顧録』である。どちらも乗り込むまでを回顧し、その動機を交えながら、日本の開国を促す内容だ。「死はもとより覚悟いたしております。」(幽囚録)と役人に述べたとあり、脱藩のとき同様命を賭けていたことがわかる。

 ここで大人しく投獄生活を送る松陰ではない。
 その獄中14ヶ月の間に600冊以上の本を読み、他の囚人たちに対して「孟子」を講義し、国のあり方について真剣に討論しあったのだ。この獄中での講義が話題を呼び、釈放された後ついに松下村塾を開くことになった。松下村塾の発端は獄中の講義、しかも開かれていたのは僅か1年程度。しかし我々がよく知るように、この塾で学んだ者がのちに日本を動かしていく。

 釈放されたのも束の間、日米修好通商条約を機に、幕府を批判する言動がエスカレートし、またもや野山獄に投獄される。その後安政の大獄で江戸へ送られ、そこで暗殺計画がバレて処刑されてしまう。この時処刑される直前まで書き留めていたのが『留魂録』である。
 しかし、何故計画がバレたかがまた驚きなのである。何と自分から口にしたのだ!
 別件で尋問を受けていたとき、「そして、自分の所信を明らかにするために、(中略)鯖江候を要撃する計画のあったことまで自供してしまった。」(留魂録)と。しかし同志の名は一つも口にしなかったようで、「僕一人が罰せられて、他に一人の連累者も出さなかったが、これは実に大きな喜びと言わなければならない。」(留魂録)と述べており、迷惑をかけたいわけではなく、自分の信念に対して忠実に、そして激烈に行動していたことがわかる。
 松陰は獄中でも弟子たちに手紙を書いており、留魂録の終盤、つまり死ぬ直前に書いた文書は弟子や同志にあてたものばかりである。直々に書いていない人についても「諸人に話しておいた。」(留魂録)と述べ、「こうした紹介はすべて、僕が軽い気持ちでやっているのではないのである。」(留魂録)と書き、次の辞世の詩で締められている。本当に最期まで松陰は弟子らを気にかけていたのだ。

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
 これは高杉晋作からの「男子たるもの死すべきところはどこなのか?」というかつての質問への、獄中からの松陰の答えである。
 松陰が処刑されたのち、松下村塾の塾生も中核を担い倒幕運動が進んでいく。言葉通り死んでなお日本を動かしたのである。

 よく命を賭けていた松陰だが、命を粗末にしていたわけではなく、自分の信念にすべてを賭けていたのではないか。この本に記された膨大な量の文書、そして同志への励ましを読んでそう感じた。
 彼は自身の信念に従って生き、その熱と教えで他人を動かす人だった、私はそんな風に思う。
 だから、冒頭で述べたように彼が自身ではなく、周りの人間に関連して記憶されているのもちっともおかしくない。彼自身を最も的確に表しているのだと。
 

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P r o f i l e
はたけなか・みう
京都大学大学院理学研究科修士2回生。ひいひい言いながら研究を進めつつ、今年は最後の京都ということで紅葉を楽しんでいます。細切れの時間しかなく、最近のお供はもっぱら短編集か詩集。
 

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