ヴァンダ・プシブィルスカ〈米川和夫=訳〉
『少女ダダの日記』
角川新書/定価1,056円(税込)
私たち編集者は、いつも本のテーマを探している。人気のある本や著者から考えたり、友人や家族との何気ない会話の中からヒントをもらったり。
本書『少女ダダの日記』の刊行は、少し変わった出会いがきっかけだった。
私の会社には、ビルの地下に自社書籍の書庫がある。あるとき所用があって書庫に行った。20年もこの会社にいるのだが、これまで機会がなく、初めてのことだ。鉄の重い扉を開けると、中は真っ暗、空調が効いて冷え冷えとしている。
お目当ての本はすぐに見つかったが、過去に刊行された書籍が並ぶさまは壮観で、つらつら本を見ていたところ飛び込んできたのがこの本だった。角川新書の前身のレーベルで、1965年に刊行されたものだという。
本のソデに書かれた内容紹介を読むと、書き手(おそらく当時の編集者)の熱意が伝わってきて吸い込まれた。
「戦争、それはすべて、人間を破壊し、奪うことをおもな目的とする。第二次世界大戦もその例外ではない。ナチス・ドイツは、小国ポーランドの国土をふみにじり、国民に残虐のかぎりをつくした。14歳の少女ヴァンダ(ダダ)も、ワルシャワ反乱でドイツ軍の砲弾に傷つき、白い小鳩のような生命を絶たれた。(中略)戦後20年、さまざまな美名や口実のもとに、自分の意志とはかかわりなく、むごたらしく生命を奪われた者たちは、まだわれわれに対する告発をやめない。」
本文の方もぱらぱらと見るつもりが、書庫のなかで一気読みした。
綴られているのは何の変哲もないキラキラした日常。その少女が14歳で命を落としたという事実。両者のギャップに目がくらむ。
茫然としたまま自席に戻ると、浮かんできたのが、今ウクライナで暮らす子どもたちのことだった。今もなお、理不尽に命を断たれている子どもたちがいるじゃない!
そのころの日本はサッカーのワールドカップ一色で、ウクライナ関連のニュースは減り、私自身、関心が薄れていた。
そんなタイミングでの出会いだった。偶然とは思えない。ぜひ現代の読者に届けたい、ぜひ読んでほしい、そう思った。
当時、すでにウクライナ侵攻の関連書籍は多く刊行されていたが、子どもの視点から書かれた本は見当たらない。ダダは現在のウクライナの子どもではないけれど、共通項も多く、気づかされることは多いはずだ。
編集長に相談し、復刊できることになった。
この本でダダが教えてくれるのは、戦争は突然始まらない、ということだ。昨日と代わり映えのない日常がじわじわと脅かされ、壊されていく。それがなんとも恐ろしい。
気分屋の友だちがやさしくなった、という記述の翌日に、ユダヤ人をぎゅうぎゅう詰めに乗せた汽車を目撃した、とある。カンカン照りのお天気に不満を述べた翌日に、目の前で撃ち合いが起き、体中ががくがくと震え、脚を一歩も踏み出せなかった、と綴る。
ダダはポーランドの勝利を祈り、信じながらも、少しずつ心身のバランスを崩していく。忍び寄る死の影を追い払いきれない。
「万一わたしの死ぬようなことがあれば、この日記はハーニャ・ドブロヴォルスカに渡してほしい(ハーニャの住所は日記のなかにある)。 ダダ 1944年」
こう書いた14歳の少女の気持ちを想像してみる。戦争することの意味とはいったい、何なのだろう?
復刊に際して、原稿を組み直し、現代の読者が戸惑わないように、注釈も付すことにした。本の帯や挿画は、やさしいイラストを描いてくださる石川ともこさんにお願いした。戦争の生々しい写真ではなく、少女のありふれた日常を表現したかった。
石川さんにゲラを送ったところ、こんなメールをくださった。
「読ませていただいて泣いてしまいました。(中略)ダダがバーシャ(友だちの名)にもらったひなぎくの花をどこかに入れられたらと思います」
その絵は「1943年 ワルシャワで」という章の扉に掲載したのでぜひ見てほしい。
この本作りを通して、私は自分の無知にも気付かされ、あわてて中公新書の『物語 ポーランドの歴史』『物語 ウクライナの歴史』を読んだ。両国が大国に蹂躙され、自由のために抵抗してきたことに唖然としてしまう。そして蹂躙の歴史は現在進行形だ。
50年以上の時を経て世に送り出したこの本は、戦争という現実の前では小さな小さな砂の一粒だろう。でももし、だれかが手に取って、少しでも感じることがあったなら、担当者として本当にうれしく思う。
世界中のすべての子どもたち一人一人が、穏やかに健やかに暮らせるために自分に何ができるのか、これからも考え続けていきたい。