哲学者 谷川 嘉浩 先生 インタビュー

もっと楽しく、豊かな人生を歩むためにできること。

SNSやAIを当たり前のように使いこなす昨今の学生たち。
一方で、繋がっているはずなのに逃れられない寂しさを感じたり、リアルな対面コミュニケーションのハードルに悩んだり、
利便性を享受しながらも漠然とした不安感に襲われたりする学生も少なくありません。
これからを生きる学生たちが、自分らしくあるためには、そんな心の葛藤とどのように向き合い、行動していけばいいのか。
哲学者の谷川 嘉浩先生にお話をお伺いしました。

 
京都市立芸術大学 谷川 嘉浩 先生

京都市立芸術大学 谷川 嘉浩 先生(哲学者)
プロフィール
インタビュイー

全国大学生協連 全国学生委員会 委員長 佐藤佳樹

全国大学生協連
全国学生委員会
委員長 佐藤 佳樹
インタビュアー

全国大学生協連 全国学生委員会 副委員長 森田 葵

全国大学生協連
全国学生委員会
副委員長 森田 葵
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全国大学生協連 全国学生委員会 笹森 穂花

全国大学生協連
全国学生委員会
笹森 穂花
インタビュアー

(以下、敬称を省略させていただきます)

AIを使い続けることで失うもの

佐藤佳樹
佐藤
大学生協が実施している学生生活実態調査によれば、近年、書籍を読まない学生が増加しているとともに、比較的読書をする学生でもその時間が減少傾向にあることがわかってきています。一方でAIを利用している、利用したことのある学生が9割を超えるという結果が出ています。スマートホンやSNSで様々な情報に常時接続し、検索エンジン等による短時間での情報取得が当たり前の時代、学生たちのAI利用はここ3年の間に急速に拡大してきました。こうした変化について、谷川先生ご自身はどのようにお考えでしょうか?
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
ここ数年AIの利用数が拡大しているのは、単にそれが無料だからではないでしょうか。たぶん、無料じゃなかったらこんなに多くの学生が利用していませんよね。基本的に学生がそれほど潤沢なお金を持っているとは思えないですし、特に一人暮らしをしている学生であればなおさらです。第60回学生生活実態調査(全国大学生生活協同組合連合会)では、2024年の仕送り平均額が7万2千円台となっています。前年から2000円程度増えていますが、物価上昇に及ぶ速度とは言えないし、少なくともアルバイトや奨学金が前提の仕送り額だろうと言えます。そういう状況下で、学生が果たして有料のAIを使うかというと、基本的には使わないんじゃないですかね。YouTubeを観ている人が多いのと理由は一緒で、YouTubeもプレミアムしかなかったらここまで観る人は増えていなかっただろうし、TikTokにしても毎月1000円が課金されるものだったら若者たちはここまで夢中にはなっていない。日本が貧しくなって経済的に厳しい状況の中で無料ベースのカルチャーを当たり前に摂取している層だと思うんですよね、いまの学生って。そういう層が同じ無料ベースのカルチャーの一つとしてAIを使っているというところはあるんだろうと思います。

そもそもAIを稼働させるためには膨大な電力が必要で、それをまかなっていくために発電所やデータセンターの増設、新しい発電や送電の研究・開発など、テック企業が中心となって様々な施策が行われているわけですが、AIの利用拡大の速度には到底及んでいないのが現状です。私が調べたところによると、2027年には需要に追いつかなくなることが予測されていて、断言することはできないものの、無料でAIを使える環境は継続しないだろうと直近の予測としては言えます。これらを総合的に考えると、学生のAI利用がこのまま続くかというとちょっと疑問ですね。もちろん、新しい効率的な発電・送電方法が生まれて、さらに未来にはまた無料になっている可能性もありますが。
 
佐藤佳樹
佐藤
AIを使い続けることに関する是非についてはどうでしょう?
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
使い続けても個人としていいと思うのであれば、それはそれでいいんじゃないかという考え方はあると思います。実際、「レポートも読書も調査も面接もAIで済ませます」という学生に対して、私自身が「それでも頑張りなさい」と言ってどうにかならないじゃないですか。年長者の小言に聞こえるでしょうから。

でも、たとえば友だちから深刻な悩み相談されたときに、「え、ちょっと待って。うまく言えないからAIに聞いていい?」とは言わないわけですよね。職場の部下からの質問に答える前に、「え、一回AIに確認させて」って言ったら部下の信頼を失いますよ。恋人から「将来どうしようか」と対話をもとめられたとき、「AI交えようか」なんて言ったら興ざめですね。要するに、現在人の感性からすると、AIを使うべきでないタイミングが存在するということです。そこで無理にAIを使うのは、馬鹿にされているように感じるし、無責任に見えるし、粋じゃないように見える。

服のコーディネートをAIに聞くことはけっこうありますし、助けになるでしょうけど、一生それを続けるのかという問題はありますよね。それって補助輪だから、いつかは自分なりのセンスを発揮してみた方がいいんじゃないでしょうか。50歳になっても常に親が用意してくれた服を着ている人がいたら戸惑うように、補助輪はずっと使うものかしら、と私は思ってしまいます。実際、電卓があっても九九を覚えるし、車があっても体力をつけるのと同じで、機械が自分よりうまく作業をこなせても、自分のスキルを全く発達させなくていいということにはならない。歴史を振り返ると、代替されても人間の仕事が残るパターンが多い。このことを踏まえると、AIを使ってお手軽に済ませてしまう行為についても、別にAIを使ってもいいんだけど、そこで失っている能力とか、努力の機会のことに思いをいたらせるべきなんじゃないでしょうか。
 
佐藤佳樹
佐藤
服をAIで調べるみたいなことは、私もネクタイとワイシャツの合わせ方をAIに聞いたことがありました。年末の忙しい時期だったので助かったのですが、AIに頼りきりになってしまうと自分で何かを考える能力は確かに低下してしまうのかもしれません。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
そうですね。たまに使ったり、練習したりする分にはいいんですけど、現実をずっと補助輪抜きで歩くことができるだろうかとは思います。もちろん、何かを相談をしたくなるということ自体がダメということではないと思いますよ。凡庸な見解ですが、結局バランスが大事なんです。
 
笹森 穂花
笹森
私は職務でメールを発信する機会が多いのですが、必ずAIに校正をさせてからじゃないと不安な体になってしまって(笑い)。自分自身でしっかり試行錯誤をして、成功体験を積むことが学生だけでなく、私自身も減ってきているように感じます。一方でAIの利用に慣れてきてしまったからこそ、AIを使わないことによる失敗を恐れる気持ちも少なからずあります。そういった中で、どうしたらAIとバランスよく付き合っていけるか、生きていけるかという点が悩みの種になっています。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
先ほど申し上げた通り、AIはいずれ有料化されると思うので、その辺はあまり心配しなくてもいいのかもしれません。お手軽に相談できるという選択肢を奪われたら、人間は「まぁ、しょうがない」と割り切って生きていけるようになるんじゃないかという気もするので。問題があるとすれば、AIが有料化されても普通に課金できる裕福な学生と、そうでない学生に二極化することでしょうか。経済資本がAI使用に現れる可能性は大きい。ただ、これもAIを使える学生が有利という単純な話ではなくて、AIを使えることで、特定のスキルを身につけることにつながる試行錯誤の機会を手放している可能性もあるわけで、長期的にはデメリットが大きい可能性もあります。ということは、AIユーザーの学生の中でも二極化が起こるでしょうね。抑制的にAIを使って、自分のスキルを発達させる機会を十全に確保できる層、漫然とAIを使って補助輪付きでないと調べたり考えたりできない状態になる層です。かなり単純化された議論ですし、未来予測は当たらない可能性も大きいけど、いずれにせよ、早晩AIの在り方は大きく変わることになるはずです。
 

オンラインの怖さとリアルの大事さ

笹森 穂花
笹森
私たち大学生協は、学生や教職員の方々を中心とした大学を取り巻くステークホルダーのプラットフォームになることを大きな使命として活動をしています。今やSNSの利用が当たり前になってきている状況の中で、SNS上ではなく、リアルに人と人が出会うことにどのような意味があるのでしょうか。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
いろいろな答え方ができるんですけど、やはりコロナの頃を思い出すとわかりやすいかもしれません。オンラインで何かをするということと、対面で何かをするということの決定的な違いを私たちはそこで実感したはずです。人と会うことの原初的な喜びと恐怖、その両方がありました。会わないと掴みづらい間合いや雰囲気を感じられる対面の楽しさと、それまで相手が何をしていたのかわからない、ある種の怖さ。会うことが、リスクを伴った喜びであることを思い出させてくれる経験だったと思います。

ほかにも、沈黙という観点で対比すれば大きな違いが見えます。こういうインタビューだったら、全然オンラインでも問題ないと思うんです。ある側が喋って、まあそのターンを取って別の側が喋るというだけのことですから。でも、オンラインで沈黙するってかなり奇妙なことですよね。たぶん今から私が10秒間黙ったら皆さんの不安がけっこう高まるのではないかと。それがリアルな対面だったら、個人差はありますが多少は許容しやすいと思います。オンラインが空白を埋めたくなるような性質を持っているのに対して、リアルは空白を受け入れやすい。

それに、オンラインでは、整理された情報にだけ接することができますね。情報技術はパーソナライズがしやすいから、都合のいいものだけをピックアップできるし、気に入らないものを視界に入れないためのブロック機能などもある。でも、現実はそうではありませんよね。気に入らない人がいても避けられないこともある。匂いがするとか、サイズ感がすごいとか、何となく落ち着いているとか、現実にはそういう曰く言い難い雰囲気としか言いようのないものまで、対面していると伝わる。認知心理学の世界では「アフォーダンス」(情報が与える行為の可能性や意味)といいますが、オンラインがアフォーダンスを設定しないといけないのに対して、現実にはそうした潜在的な情報が無限にあります。とかくWeb上に情報があふれているかのごとく感じますが、実は現実の方がよっぽど情報は多いんですよね。
 
佐藤佳樹
佐藤
私たちも日頃から全国の大学生協の方々とオンラインで繋がることが多いのですが、やはりリアルな対面の方がいいという声を数多く聞きます。現場でしか得られない雰囲気を感じるために、直接訪問したいというのがやっぱりあるので。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
もう一つ、オンラインはモードの切り替えがしづらいという面がありますよね。オンラインの場合は会議をするなら会議をすることに特化して一定時間を過ごし、終わったらスパッと終わりです。でも、リアルの場合はまずメンバーが三々五々集まり、「じゃあそろそろ始めますか」という感じで緩やかにモードが移行していく。会議が終わる時も皆がその場からシュッと消えるなんてことはありません。会議室の扉から一緒に出て行って、廊下を同じ方向に向かって歩きながら、その間に雑談が生じたりする。そうした曖昧な、「間」の時間を通じてモードを切り替えることができるのはリアルならでは、という気がしますね。
 

自分が何者かなんてどうでもいい

森田 葵
森田
SNSをやっているととかく他者との比較や、自己承認といった言葉に囚われてしまいがちです。あの人には「いいね!」をしているけど私にはしていないとか、あの娘のストーリー、私には観られないようにしているんじゃないかとか。これは発達段階にある思春期ならではの問題ではなく、SNSの普及が大きく関わっているように感じます。谷川先生は著書の中で「常時接続」という言葉を使っていらっしゃいましたが、若者が常にSNSとつながっていることが前提としてある現代において、自分らしく生きるとはどういうことなのか、自分らしく生きるためにはどうしたらいいのか教えていただきたいと思います。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
他者との比較や承認への欲求に関して言えば、これは何も若者たちばかりでなく、より年長の大人たちも当然気にしています。つまり、発達段階の思春期特有の問題ではなく、年齢に関係なくあることなんですよ。年長者だと、FacebookではつながっているけどXではフォローされていないのにモヤッとする、みたいな微妙なやりとりはあるんですよ。あるいは、若者にダサいと思われたくないとか。人間には承認欲求や自尊心があることを認めるところから話をした方がいいんじゃないですか。だから、他者との比較や嫉妬心、自分にもいいね!がほしいといったそういう感覚自体をやましいものだと思う必要はありません。

でも、学生が自分らしさや承認に悩みがちなのもわかる。定義上、学生は学びつつある者だから、何者でもないじゃないですか。何者でもないから悩むんだけど、そこで焦って、何かしなきゃと思って、目に見えて報われる物事にすがったり、誰かとの競争に勝とうとして不安を消したりする。でもそれって、なんか空回りしているように見えますよね。だって、学生はほぼ全員何者でもないから、みんな実存的な悩みを抱えると大体空転するんですよ。何者かに見える友だちだって同じです。何者でもないのはあなただけではない。とはいえ、大学を卒業すれば何者かになれるかというと、明確なタスクと肩書、つまり、社会的に意味があるということになっている「役割」が与えられるだけで、本質的にはあまり変わらない(笑い)。だから、退職するとアイデンティティクライシスに陥る。

その上でどうすればいいのか。哲学者の田村 正資さんが『独自性の作り方』という著書で言っているのですが、大切なのは「自己満足」を取り戻すことだと思います。「お前、そんなの自己満やん」と普通は悪い意味で使われる言葉ですが、競争や不安とは切り離された状況で充足できる小さな自治の領域を指しているので、実は貴重な経験だと考えるべきかもしれません。自分は絵が下手だけど、描いてみたらなんか楽しかった。釣りに行って魚は釣れなかったけど、気持ちのいい時間が過ごせた。絵や釣りのうまい人はたくさんいる中で、そういう状況にしみじみと満足ができるって、実はすごいことなんですね。SNSなどで優れた技量の人を見つけてしまえる現代にあっては自己満足を擁護することが大事なのではないかという田村さんの指摘は重要だと思います。一人暮らしの学生であれば自炊をすることもあるかと思うのですが、初めての料理がおいしくできなくても初めてだししょうがない。楽しかったから次回また挑戦してみよう。自分のやったことに対して素直に認められる、そういう感覚ってけっこう大事だと思いますよね。意外と難しいことかもしれませんが、まずは自己満足を探してみることをお勧めします。
 
森田 葵
森田
自分らしくいること自体が、特別でいようとか、何者かであろうみたいなイメージと結びつく感じがしていました。他人とは違う、世間一般とは違うことのように捉えることがむしろ本来の自分から遠ざかる要因になっている。自己満足というのは自己の基準で測るものであって、他者の基準とか他人と比べた時の基準とかで測るべきではないですね。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
アニメやドラマが好みじゃないとき「Not for me」とよく言いますが、SNSで友人が楽しそうにしているけど自分はそこにいないときとか、知り合いが何か意味深なことを言っていて「もしかすると自分への文句?」と思ったときとかにも、この言葉を思い出した方がいい。基本的に想像の産物だから、直接言われるまでは「自分に宛てた話じゃないな」と冷静に思った方がいい。それよりは、自分の中で楽しさの基準を再確認することが重要ですよね。

一番いいのは、自分が何者かどうかとか、何者かにならないといけないとか、そういうことを気にしないでいるってことじゃないですかね。どうだっていいですよ、そんなこと。例えば、私は今大学教員でいかにも何者かっぽいじゃないですか。でも、20代のあいだは単なる学生だし、大学をいつか辞めたら役割を降りるわけですよ。80歳の私が「もともと大学教員でさぁ、実はすごいねん」なんて言っていたら、マジで虚無じゃないですか。これだと、今は特に役割なんてないから、かつての肩書きにすがるほかないみたいな感じになっちゃっていますよね。

余談ですが、元々東大におられた石井洋二郎さんとお話をさせていただく機会があったんですよ。この方は、人文系の研究をしている人間であれば誰もが知っているくらい存在感の大きな方なんです。でも、お会いすると実に腰が低くて、自分が何者であるかなんて全然気にしていないさそうでした。自分自身が楽しいこと、知りたいこと、考えたいこと、表現したいことを本当に真摯に突き詰めていらして、それを人に届けることに夢中なっているのがありありと分かるんです。私のような若輩者が書いた本も読んでくださって、「勉強になりました」なんて言う。何かもう全てにわたってそういうテンションの、実にご機嫌な方なわけですよ。私とは倍くらい年齢が違うと思いますが、本当にいい、素敵な歳の取り方だと感じましたし、私もああいう風に年を重ねられたらと思いましたね。こういう生き方ができるということは、「自分らしさ」とか「何者であるか」という問いより大事なんだと思います。
 

ネガティブ・ケイパビリティという生き方

笹森 穂花
笹森
谷川先生はネガティブ・ケイパビリティについて、答えを急がずに立ち止まって考え、すぐに答えは出せなくても、そのことに対して関心を放棄せずに考え続ける、咀嚼し続ける能力であり、現代ではそれが忘れられてきているとおっしゃられています。冒頭にもありましたが、現代の学生たちは書籍を読まなくなるなど、とかく忙しさをできないことの理由にあげる傾向があるように感じます。こうした中で、自分が本当にしたいこと、大事にしたいことを追い求めるうえで意識していくべきことがあれば教えてください。
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
ABCのうちのどれかが正解かもしれなくて「正解っぽいものを選びなさい」という状況があったら、誰だって正解を選びたいはずじゃないですか。それは当然といえば当然で、若者特有なわけでもなく、年長者だって同じです。空気を読んで選択肢を選び始めるとおかしなことになってしまいますが、最適解を求めたくなる心理自体は自然ですよね。ただ、入社してわずか1週間の新入社員が「働く意味はこうだ」と完璧な結論を出した顔をしていたら滑稽ですよね。あるいは生きる意味について、小学校低学年の子どもが結論を得たような顔をしていたら、それはそれで変だということになると思うんです。重要なのは、その都度出した正解を、あくまでも暫定解だと思えるかどうかなんです。悩みのたびに色んな答えを出すものであって、経験を経て自分の答えもいずれ変わるんだろうということを、答えを出したと思ったそばから思えるかどうか。たとえば、いまの学生たちの多くは成長する過程の中で何度も将来の夢について聞かれたことがありますよね。子どもの頃から変わらずに同じ夢を抱いてきた人がいないわけではありませんが、基本的にはないですよね。ケーキ屋さんになりたいとか、パイロットになりたいって言っていたはずですよね。その時は完璧な解を出したと思ったはずです。でも、それって変化するわけですよ。そうやって変わるものだという感覚をきちんと持っていられるかどうかですよね。
 
森田 葵
森田
私は幼い頃から教員になるのが夢で、いまでもその夢の実現を目指して頑張っているわけですけど、自分の中ではそんな初志貫徹しているのがきれいだからそうあるべきみたいなイメージがありました。お話をお聞きして、私の場合は「別にそうじゃなくていいのだ」と気づけるきっかけってなかなかなかったと思っています。谷川先生はどうしてそのようなお考えにいたることができたのですか?
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
人生のあらゆる領域で初志貫徹している人って、たぶんそれほど多くはいないんじゃないですか。将来のなりたい職業とかが変わらないという可能性はあり得ますけど、それ自体もけっこうレアなことだとは思うし、仮にそういう人がいたとしても、好きなものとか、着ている服とか、好きな食べ物とかまでずっと一緒だという人はまずいないでしょう。こんな感じで、まずは過去の自分を素材に、今の自分を相対化するという方法はよく使います。今の自分を一番相対化してくれるのは、実は過去や未来の自分なんですよね。自分は自分のことに詳しいので、実践しやすいからおすすめです。
 

人生は意外とやり直しが効く

佐藤佳樹
佐藤
学生たちはこれからの人生の中でたくさんの選択に直面していくことになるわけですが、 その際に考えるべきことがあるとしたらどんなことでしょうか?
 
谷川 嘉浩 先生
谷川
一言でいうと、人生は意外とやり直しが効くということですかね。誰と仲よくするとか、どんな映画を見るとか、どの研究室に入るとか、誰と付き合うとか付き合わないとか、インターンに行くとか行かないとか、このメッセージにいつなんて返事するとか、そういう選択がいっぱいあるはずです。当事者だと、この選択の影響を過大に見積もることがあるけど、実は大したことないか、選んだあとでも取り返せることが多い。研究室や学部も選び直せるし、インターン行かなくても別に就職はできる。就職したって起業できるし、転職もできる。Aさんと仲良くしてもBさんと仲良くなれるし、まずい言い方でメッセージを返しても「あ、正直に言えばこういう意図だったんです、うかつな言い方をしちゃってごめん」と取り繕わずに伝えたらいい。恋愛や結婚だってそれが一生続くかどうかなんて誰にもわからない。「これが人生の決定的なことに違いない」とあまり気負いすぎないことですね。どうせ変わるものだと頭の片隅で思いながら「まぁこれでいこう」と自己満足で選べばいい。後悔したなら選び直せばいい。大抵のことは取り返しがきくんです。

リカレント教育やリスキリング、生涯教育など、色んな言葉を通して、大学卒業後に何かを改めて学ぶという選択肢が促進されていますね。実際、年齢を重ねてから大学に入りなおすという選択肢は、以前ほど奇異の目で見られなくなっていると思います。それも新たな選択機会の一つですよね。こういう「選び直し」が、決して例外的なことではないということを覚えていてほしいです。なんだって、いつだって選び直せるんだという視点を持っていると肩の力が抜けますからね。
 
佐藤佳樹
佐藤
谷川先生のお話に新たな視座を見出した学生も少なくないと存じます。本日はありがとうございました。
 

2026年5月27日リモートにて

 

PROFILE

谷川 嘉浩 先生
京都市立芸術大学
谷川 嘉浩先生(哲学者)
 
2020年3月 京都大学大学院 人間環境学研究科博士課程修了
2020年4月~
2022年3月
京都大学大学院 人間環境学研究科 人文学連携研究員
2020年4月~
現在
近畿大学 非常勤講師
2023年4月~
現在
京都市立芸術大学 美術学部デザイン科 講師
主な著書 2022年『スマホ時代の哲学』(Discover21)、2023年『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、2024年『人生のレールを外れる衝動の見つけ方』(ちくまプリマー新書)
 

その他のインタビュー