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山本 貴光さんおすすめの本


『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』
岡本広毅+小宮真樹子=編
みずき書林 本体2,800円+税
本のカバーは3種類あります。書影はガウェイン版。このほかアーサー版、ランスロット版があります。内容は同じ。

 

 デジタルゲームは、かつて読む遊びだった。読むことが遊び? 順を追ってお話ししよう。半世紀ばかり時計の針を巻き戻す。
 いまでは当たり前のものになっているパーソナルコンピュータが現れたのは一九七〇年代のこと。当初は、現在のように映像や音を表現できる装置ではなかった。使えるのは低解像度の画面に限られた色。簡単な静止画を表示するにも一分くらい待たされる。アニメーションや動画なんて夢のまた夢。信じられないかもしれないけれど、そんな時代があった。
 基本の画面は真っ黒。文字は緑か白の一色だけ。アイコンもなく、すべて文字だけで表される。なにかしたいと思ったらcopyやprintとキーボードで命令を打ち込む。パソコンはなによりも文字の装置だった。いまではあまりそう見えないけれど、最新のパソコンもスマートフォンも基本は同じ。ついでながら、OSやアプリもすべてプログラム言語、要するに文字で書かれて文字で動いている。
 そんなわけだから、パソコン黎明期につくられたゲームにはテキスト中心のものが多かった。「アドベンチャーゲーム」と呼ばれるジャンルがある。まず画面にテキストで状況が説明される。例えば『Zork』(インフォコム、一九八〇)はこう始まる(原文は英語)。
「君は白い家の西側の屋外にいる。目の前には板張りのドア。小さな郵便受けがある」
 どうするか。ページをめくる代わりにキーボードで行動を入力すればよい。
「郵便受けを開ける」
 すると説明文が表示される。
「小さな郵便受けを開けると、紙片がある」
 言葉を入力すると、それに応じたテキストが表示される。こうして冒険アドベンチャーが進んでゆく。
 これは小説を読むのと似ている。ただし決定的な違いもある。そう、読者は自分で行動を選べる。選択に応じて状況が変わり、また行動を選ぶ。最初はテキストだけで表現していたところ、コンピュータの性能が向上するにつれて画像や動画や3Dグラフィクスに加えて音声も使えるようになって現在に至る。
 さて、そんなアドベンチャーゲームにはお手本があった。人間同士で遊ぶロールプレイングゲーム(RPG)だ。一九七四年にアメリカで発売された『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』はゲームのルールブックである。
 RPGでは一人がゲームマスター(GM)といって語り部になる。他のプレイヤーは登場人物を演じる。GMはあらかじめ冒険の舞台となる世界の設定やシナリオを用意しておいて、プレイヤーたちに状況を説明する。それを聞いたプレイヤーは、どうするかを決める。
GM:君たちは依頼主から聞いた廃墟にやってきた。陽は沈みかかって西日が眩しい。
A:やあ、えらいとこにきちゃったね。
B:仕事を選べる立場じゃないからさ。
C:耳を澄ませたらなにか聞こえないかな。
GM:では四面ダイスを一つ振ってみて……。
 という具合にゲームは会話を中心に進んでゆく。このGMをプログラムに任せて一人用にしたのが先ほどのアドベンチャーゲームだ。
『D&D』は中世ヨーロッパ世界(といっても多様なのだが)にエルフやドワーフのような種族、魔法やドラゴンのような要素が加わったファンタジー世界を舞台とする。このゲームは物語とも深い関係がある。ファンタジー小説の金字塔、J・R・R・トールキンの『指輪物語(The Lord of the Rings)』を大きな発想源にしているのだ。その後のコンピュータRPGが直接・間接的に『D&D』を模倣していることを考えると、それらもある意味でトールキンの末裔といってもよいかもしれない。他方で『D&D』からは『ドラゴンランス戦記』をはじめとするファンタジーノベルも生まれた。こんなふうにして、ゲームと物語は昔から互いに関わり合っているのだった。
 と、これはほんの一例。そのつもりで見てみれば、ゲームはいつも文学や物語とともにあったのがお分かりになるだろう。例えばゲームに登場するキャラクターやモンスターは、古今東西の神話や物語に由来するものが多い。古くは『三國志』や『水滸伝』、いまなら『Fate/Grand Order』『グランブルーファンタジー』、あるいは『文豪とアルケミスト』『グリムノーツ』などはその分かりやすい例だ。またSF小説のネビュラ賞にゲームライティング部門が新設されたり、世界の優れたゲームに与えられるザ・ゲーム・アワーズにもベストナラティヴ賞が設けられたりと、近年ではゲームにおける物語にも注目が集まりつつある。
 こうした話に興味が湧いたら、岡本広毅+小宮真樹子編『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』(みずき書林)を手にとってみよう。あの屈指の中世騎士道物語が、どんなふうにゲームや漫画や各種の創造を刺激してきたか、楽しみながらよく分かる実に稀有な本だから。
P r o f i l e

山本 貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。コーエーを経てフリーランス。
著書に『投壜通信』(本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマ—新書)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)、共著に『高校生のためのゲームで考える人工知能』(ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版)など。
 

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