名作を読む(小説篇) カラマーゾフを読んでみた

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北岸 靖子
 難解な小説と称される『カラマーゾフの兄弟』。この作品に挑む間、筆者を支えたのはお薦めしてくださった作家さんへの一途な愛のみ。筆者のように、大好きな作家さんのひと声で難解な作品に挑んだ方も少なくないのでは……。以下、編集会議での一コマです。
 

本文で紹介の本

『カラマーゾフの兄弟 全5巻』
ドストエフスキー(亀山郁夫=訳)
光文社古典新訳文庫
本体(各)629〜1,029円+税

 8月某日、都内某所で開かれた『読書のいずみ』編集会議でメンバーのAさんがぽつりと言った。
「『カラマーゾフの兄弟』を読んだことある人はいますか」
 その時私たちは12月下旬に発行される『izumi』冬号の特集記事について話し合っていた。冬号の特集は「文学で世界旅行」に決定している。正面のホワイトボードには「留学体験記」や「海外の書店事情」など様々な具体案が列挙されていた。
『カラマーゾフの兄弟』、通称「カラマーゾフ」はロシアの文豪・ドストエフスキーが生み出した長編小説だ。世界各国で翻訳され、日本でも複数の出版社から翻訳本が出版されている。
「いずみ」メンバーには本好きが揃っている。カラマーゾフは有名だし複数人が挙手するかと思いきや、はい、と手を挙げたのは私1人だった。
「えっ、皆読んだことないの?」
「だって長いし……」
「ねえ」
 気持ちは分かる。カラマーゾフはやたら長い上に登場人物が多く、物理的にも精神的にも疲れる小説なのだ。
 最初に質問したAさんは「私、今読んでるところなんですけど、3巻の途中で止まっちゃって」とややうんざりした顔で溜息を吐いた。
「ちなみにどれ読んでる?」
「亀山郁夫先生が翻訳された本です」
 そう言いながら、Aさんはバッグから光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟 3』を出した。ぐねぐねとした線で人間らしきものが描かれていて、なんとなくスタイリッシュなデザインだ。
「私も何年か前にそれ読んだよ。巻末に亀山先生の解説がついてるから、比較的分かりやすいんじゃないかと思うんだけど」
「うーん……」
「それにこれ、全5巻でしょ。もう半分まで来てるじゃない。(4巻が一番分厚いけど)5巻はほとんど亀山先生の解説だから、エピローグは短いよ」
「そうなんですか」
「4巻は宗教じみた話が延々続いてうんざりするけど」
「うわあ……。どうやって乗り越えました?」
 縋るような目を向けられて、私は自信満々に即答した。
「森見さんへの愛!」
 私は森見登美彦ファンを公言していて、いずみメンバーは全員そのことを知っている。
 Aさんは「ええと……」と困惑顔になった。
「森見登美彦さん、好きじゃない?」
「好きですけど……」
 なぜここで森見さんの名前が出てくるのか分からない、という顔だ。無理もない。
「何年か前に『座・対談』で森見さんとお話しをさせていただいた時に森見さんが『カラマーゾフ』を薦めてくださったの。時間がある学生のうちに、こういう長い小説を読んでおいたほうがいいって!」
 正直な話、私だって森見さんが薦めてくださった作品でなければ1巻の途中で投げ出していた。面白い文学作品はごまんとある。ロシアの文化にも宗教にもさほど興味はないし、何より主人公であるアリョーシャに共感できなかった。
 私が「カラマーゾフ」の素晴らしさではなく森見さんへの愛を力説していると、別のメンバーが右手を挙げた。
「私の知り合いにも『カラマーゾフ』にすごくはまってる人がいますよ。何度も読み返して色々分析してるみたい」
「そういえば『カラマーゾフ』って未完なんだよね」
「そうなの!?」と複数人の声が上がった。
 実はそうなんです。
 1巻の冒頭に「著者より」と題された前書きがあり、ここに「伝記はひとつなのに小説がふたつある」、「重要なのは第二の小説で……(中略)……第一の小説は、すでに十三年も前に起こった出来事」と明記されているのだが、この「第二の小説」がどこにも見当たらないのだ。
「第二の小説を書く前に著者が亡くなっちゃったんだよ」
 私がそう言うと、会議室に重い沈黙が流れた。皆が何を考えているか、大体想像がつく。
 あんなに長いのに未完ってどういうこと!?
「でも『第一の小説』はちゃんと完結してるし、あれだけで1つの作品として読めなくもないよ」
「…………」
「父親を殺したのは誰なのか、結局はっきりしないけど」
「カラマーゾフ」に苦しむAさんはついに 「うぁー……」と苦しげな呻き声を上げた。
 そんなに辛いなら無理して読まなくても……と思いつつ、私は素っ頓狂な笑顔でとどめを刺す。
「森見さんへの愛で乗り切ってみよう!」
「ドストエフスキーとか『カラマーゾフ』への愛はないのですか?」
「それは、あまり……(笑)」

P r o f i l e
北岸 靖子(きたぎし・やすこ)
奈良女子大学博士研究員。本とコーヒーとチョコレートが好き。


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