SNSを通してメッセージを送ればすぐに受け取れる現代、多くのひとがポストに手紙を投函することも少なりました。そんなデジタルの時代に、今回、いずみ委員同士で往復書簡に挑戦してみました。たまには「手紙」も、いいものですよ。
力武麗子
文通をしたのは初めてだった。正直、憧れたのは一度ではない。著名人同士の往復書簡、物語の中で手紙を交わし心を通わす主人公たち。なんだか素敵、これが人と人の交流だよなぁと目を細めた。私の憧れはいつだって本の中から始まる。しかし、長らく実家暮らし、引っ越し歴もなく遠方に友人がいるという状況はなかなか訪れなかった。そんな小さな願望を抱えていたら巡り合った今回の企画。これはぜひとも!と手を挙げた。参加者を決めるために行ったくじもなんだか古典的で楽しかった。
私は現代人にしては、手紙が好きで書く方だと自認している。友人の誕生日が来れば、LINEでおめでとうとお祝いしつつプレゼントの袋の底に手紙をしのばせるのを忘れない。今どき手紙をつらつら書いて渡すのってなんだか重いかしら、とどぎまぎすることもあるが結局決行する。受け取ってくれる友人各位、いつもありがとうございます。
レターセットをお店で眺めることも大好きで、この人にはこの柄を!とセレクトして深夜に手紙を書き始められるくらい引き出しにしまってある。小中学生の頃は友だちの誕生日によく文房具を贈っていて、プレゼント選びをするはずがついでに見ていたレターセットに目移りしてしまうということもよくあった。
ふふ、手紙とか、便箋とか、文房具って見たり考えたりするだけで楽しい。手紙特集の話になった時皆さんも手紙に思うところがありそうで嬉しくなった。好きなものについては、積極的に話してみるものです。
今回の手紙も案の定深夜に書くことに。文通ってかっこいいよねーときゃっきゃしていた割には筆が迷子になってしまった。返事が即座に帰ってこない雑談に慣れていないことを知った。ちなみにかっこつけてガラスペンで書こうとしたが、使い慣れていないこととインクがにじみやすい便箋を選んでしまったためにかっこのつかない字になってしまった。書き直すのも手紙ならではだとうなずきつつ、いつも机の上に並んでいるボールペンで清書した。本の中の憧れの人たちはなかなか筆まめだと知った、夏の夜だった。
齊藤ゆずか
手紙は、便箋に綴られ、封筒に入って届く。そのことが、手紙をほかの通信手段とは、まったく別のものにしている。
手紙しかやりとりの手段がなかった時代というと、よほど昔のことになるが、そのころよりもわたしたちはずっと多くのひとと、多くの言葉を交わしている。
しかしその言葉はたいてい、どんなことを伝えようとしているか、中身をぱっと把握できるようになっているし、そうできるように書くほうがよいとされている。メッセージアプリの通知、メールの件名。統一された活字は読みやすく、返信する内容さえ明確にされていることが多い。
力武さんからもらったお手紙は、茶色い封筒に入っていて、何が書かれているのか見当もつかなかった。開いて便箋を読むことにはほんの少し、心に芯をもたせる必要があった。
メロンパンが描かれた便箋は、力武さんのお気に入りのものであることを文章で知った。気に入って買ったものを、自分のために使ってくれたことを嬉しく思った。そして、わたしの「とっておき」を知りたい、とあった。メッセージやメールでのやりとりでは、あまりされない聞き方だと思った。もっとストレートに具体的に、好きな食べ物は? とか。でもそれすら、一緒に何か食べに行きたいとか、そういう用事がないと聞きづらい。
どうしてだろう。きっと、明確すぎるからだ。読みやすい通信手段では、中身も伝わりやすくあることが求められ、その中にあって相手への質問は、答えを必要とする「質問」という意味をもちすぎてしまう。問われたことに答えなさい、という力がどうしても働いてしまう。だから、相手に答えを求める理由まで含めて伝えなければ、と思ってしまう。
ただ単純に、あなたのことを知りたい、という思いを伝えるのに、手紙は最適な手段だ。手紙のなかの問いは、相手に答えを求める力が柔らかい。手書きの文字ににじむ曖昧さと、便箋の優しい色合いがそうさせている。
便箋という枠が先にあって文章を書き始めるのもまた、手紙の特徴だと思う。便箋の枚数が増えると、それを折りたたんで入れた封筒の厚みも増す。1枚にちょうどよく書きたいと思うが案外難しい。スマホで送るメッセージでは考えないけれど、手紙にははじめと終わりが必要で、書き出しの一文と最後の一文は、どうしようかと時間をかけて悩む。
綴じるとき、わずかに沈んだ封筒。手紙とは、手触りのある幸福だと思う。
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